映画に何を求めるのか

11月中旬の記事を放置してたので出しとこ。
沢山書き溜めてるのだけど、喧嘩売るような内容ばかりで。

シンゴジラ・君の名はが上映中だった頃、私はsingstreetに夢中だった。
大勢が夢中になっている映画は乗りにくい性質だから、情報を極力入れず、やっと今見てみた。
で、正直しんごじは楽しめなかったんだよね。
きみのなはは見てる最中は面白いと思ったけど、その後色々考えた。
皆が楽しそうで自分も楽しめたら面白いなあと思って、かなりフラットな精神コンディションで見てみたんだけど。
絶賛意見ばかりで気持ち悪いので、反発やグレーな気持ちを感じた私の心の内を正直に書き残しておきたい。
※若干にちゃんノリだしネタバレしている。
なお、比較でウルフオブウォールストリートについても書いたがこちらはネタバレなし。

書いてみて思ったけど、好きな映画について書けよ!と自分ツッコミも勿論入れた。でも好きな映画ってうまく言えないんだよ。好きーー!って理屈じゃないから。
嫌いって感情を整理しやすい。というか整理せずにいられない。あと賛同者探してるから外に意見出すしかない。マイノリティ孤独。

最近見た映画の評価
最強のふたり 好き!ドリスを目指したい
song of the sea 好き、柔らかくなる、美しくて泣く、真理
ブレンダンとケルズの魔法 好き、隠された宇宙の法則、真理、美
ブレードランナー2049 う、きつい…好きかと聞かれるとあんまり…長すぎ!頭で考えた映画。仕方ないけどね。

シンゴジラ
全然のれなかったなー。なんで皆夢中なの?
正直「幻想乙」と思った。
型に人間が合わせている。台詞というひな形に。だから自然な形ではない。とても不自然。形式美。
「ありそうな形」の平均値に全て集約してる。
台詞が所々、特にモブ、言わせてる感半端ないのが気になって入り込めない。
最初尻尾が出た時、「尻尾?」と連呼させてギャグ狙ってたけど、なんで全身出てないのに尻尾と分かったのか。私はウミヘビみたいと思ったけど。児童文学の挿絵で船を襲うウミヘビ、よくあんな形で描かれているから。
ちなみに私は予告編もほぼ見てない。当時見ても今はうろ覚えだし、ツイッターで色々見かけたけど興味なかったし、本当に初見。
脚本先行の台詞。「これを言わなければいけないから言う」。あと何言ってるか分からない。特に尾頭。
最近のアニメでは情報量を莫大に詰め込む為に、間をほぼなくして早口で台詞詰め込み、という作品を1つ見かけたことがあった。タイトル忘れたけどそんなかんじ。超不自然な間の取り方でも詰め込めればいいから、という理由で。その作品はそういうスタンスなんだろうけど…。
シナリオもほぼ知らなかったので閣僚ほぼ全滅とか凍結とかは楽しめた。だから未来予知できない部類のことは面白い。
内輪感についてけない。こういうの好きでしょ小ネタ詰めすぎ。テレ東だけ通常放送とか。
これは一種の祭り。皆が破壊したいと思ってる日本の形。だから皆が喜ぶ幻想。日本はまだまだやれるという神話。
自分は破壊をできないからゴジラに壊してもらいたいという妄想の実現化。
(私が会社辞める宣言する前に、ホピのベアパウのペンダント買ったのと同じ心理。熊の爪で私を弾き飛ばしてほしいと思った。自分で動く勇気がないから、他力で無理やりでも動かしくてほしくて。読み返すと比喩として意味不なんだが、要するにおまじないの一種というか…。)
祭りには祀られる対象が無ければいけない。今回の対象は対策室の無名混成チーム。一癖ある人達と、有能な管理。一丸となって対策した群の人々全て。
ゴジラを褒める人たちは、自分を褒めたい。
鏡。祀られてる群の中に自分も混ざれる幻想を見ている。その中で自分も一丸となって働きたい。
意味のある働きをしたい。人の役に立つ事を。だからその中に入りたい。一緒に応援したい。
無数のモブ達によって成り立つ幻想劇。それは俺たちだ。という自分賛歌。だから人気が出る。
災害、非常時に夢を求めている。
退屈な日常、意味のない仕事をしたくない。
飽きて膿んでいる。ゴジラは最高の非日常。
しかも官僚一新。若手起用。いいことづくめ。能力主義の時代到来。皆が望む事が実現している。
そういう意味でゴジラは存在自体がヒーロー。天使。新時代を連れてきてくれたから。
作品の表現はエヴァ焼き直し。指揮官はミサト。
カヨコは巷で言われているほど気にならなかった。皆嫌いを説明する時に彼女を理由にし過ぎだ。そこだけかよ。もっと考えようよ。
それより尾頭が全然魅力的に見えない事に驚き。twでは人気ぽかったのに。
原因は台詞の多さだと思う。無理やり早回しさせられてるよう。
キャラはカヨコの方が立ってた。普通のスピードで話すし。
ただやはり台詞劇ドヤ感。どいつもこいつもアニメ化されてる。
実際の人間というより、アニメキャラ。
台詞を言う必要があるだけの駒に見える。正直見た後の爽快感ゼロ。
あー、そうなんだー。てかんじ。
じわっと残る、みたいなものはまったくない。
インスタント。これよりしんごじをインスタント映画と呼称する。
これがヒットする日本は、皆孤独ということが浮き彫りになる。
皆で力を合わせたい。力を合わせる事がそんなに良いことだと思ってるの?全然違うよ。一人でやれよ!
作戦の奇抜さや、あるもの何でも使う心意気で面白みが出てる。それは戦略的な面白さ。
私にとって映画は人間の厚みを重要視してる。そういう厚みは皆無、作戦だけ。
カット割り。所々テンポ良く面白いカメラアングルを挟んできていて、そのカット自体は見栄えがする。これらはアクセント。ただそれだけ。

ああ、消耗品だ。皆でゴジラガムを噛んでいる。
ゴジラはテイのいい「ガス抜き」。
庵野氏は大衆レベルに合わせた新ネタを投下できたので、皆がそれで遊べる。おもちゃを作り出した。
ゴジラの本質は水爆実験。人間が作り出してる。その本質はちゃんとあるのに、周りの人間があまりに薄くて引き立たない。
皆キャラが薄い。とってつけたような形ばかりで中身がない。ゴジラには少し中身を感じたけど。
紫の光を出してるゴジラに同情した。あのシーンは「哀しいね、ゴジラ」と思った。
一丸となった人間は怖い。敵に回せない。反対意見を表明しにくい。だから賛同以外の意見を殆ど見かけないのだろうか。
私はどんな意見も臆面なくテーブルに乗せられる世界が好き。だから書いた。あースッキリした。

散々書いたが、evaテレビシリーズ、旧劇場版ともに大好きです。
新劇はあんまり…もう作るのやめたらいいと思う。

・君の名は
面白かった。すごい絶賛とかではないけど、今までの新開作品の純粋過ぎて腹が立つ感じはなくてちゃんと感情移入できた。
意外だった。ちゃんと見られた。ただショックとか感動とか、全く引きずらない。引っかかりがない。
やっぱ、インスタント、なのかなあ。今見た先から忘れてく…。
見てる時は中々おもろいと思ってたのに。
話の構成に隙がない。テンポもバッチリで見やすい。キーワードの散りばめ方も。
役者もうまかった。
記憶削除、データ削除はバタフライエフェクトのつじつま合わせ、簡易的な代償なのかな。
黄昏時に輪郭が交わるという伏線の見事な回収。
だから味わおうとすると、色々考えられはするんだけど、なんだろうこの違和感。
咀嚼せず喉ごし良く終わる。清涼感でいうならポカリ。
超感覚を頭で考えた映画。
だから咀嚼も頭でやろうとするのかな?だから見終えたら、また見たいとは思わない。
脳の使う部分が違うのかな。
超感覚を大人にも説得するための理詰めに咀嚼できるよう仕組んだ映画。
こういう超感覚が実在するのは分かる。
子供が夢中になるのもわかる。当時小中高生は好きだろうね。
面白いけど、よく出来過ぎ、か?
構成が完全な球体なのでとっかかりが無い、みたいな。
しみじみ残る、という見た後感が、またしても無い。
消耗品なのか?一回見たからもういい、は。
読後感のないすぐ冷める魔法。よく出来た娯楽作品。

この2作以外に、ウルフオブウォールストリート と最強のふたりも見たけど、そっちは好きだと思った。「人間臭、奥行き」の対比で例に出す。
ウルフはイかれてるしムカつくんだけど、なぜか全体的に憎めない。皆生きている。リアルで欲望がありのまま、現実に側に居たら近付きたくないけど、そういう世界があるのは分かる。
金と肉欲の世界。肉欲はあんまり分からんが、金への気持ちは少しは分かる。執着する気持ちや、うまくやって儲けてるやつへの苛立ちや羨望。そういうものは地続きで、彼らへと繋がっている。
レオとスコセッシの手腕で、アドリブどんと来い、失敗OKの空気を作り出し、役者が萎縮せず尽力できる舞台を作り出した。
だからムカつく人物ばかりなのに、皆生きててそういう形もありだと思わせる。
スコセッシ監督は、対岸じゃなく地続きだというモットーで作ったそうで、その心がよく分かる。
その真実はフィルムに映ってる。
虚構なのに真実。真実は愛と同率1位の重要度だ、私の中では。
だからムカつくけど分かる、憎めない。という感想になるんだな。

人間から滲み出る、見えない欠乏や過剰な何か。人物が動く度、じゅわっと滲み出る。
自分はそれが見たくて映画を見るみたいだ。
だからどんだけ評判が良くても全然満足出来ない事も多いし、自分の目で確かめるしかない。

映画についてはまだ言いたいことがあるが一旦〆る。