欠損が武器になる

ずっと書こうと思ってたけどタイミングが遅くなってしまっていたこと。

調和のとれた人格者が妬ましかった。
円満な人には絶対になれない。
私ができないことをホイホイ自然にこなしていく。
羨ましい。
その身についていない技術の習得に何年かかるのだ。
何年経っても無理な場合の方が多い。
他人だから。先天的に要素が違うから。

修復できない傷は欠損で、穴になるしかない。
穴どころか、バキバキに折れた欠片しかない。
もう絶望的なまでに埋まらない。
どのみち、埋めて張り合おうなんて無意味だった。
点線面でエッセイを書いてからそれが分かった。

本が出た後も私は他人を羨ましがっていた。
だが先生には「もうその欠片は、ナイフのように磨くしかない。だが鋭利になれば人を刺せるものが作れる。」と言われた。
そうか。人を射抜く方がかっこいい。そうなりたい。
自分の特長は、尖ること。刺すこと。一点突破。
そして恐らく私が羨ましがっている人も、私にはなれないのだ。

ナイフで何を作るのか。まだ全然分からない。
だがポジションは分かった。

それと、穴が綺麗という見方もあるそうだ。
それは友人から指摘された。
全くの盲点だったし、今でもまだ理解できていないが。
空洞の形なのか、それを見つめる姿勢なのか。
その友人の感性を信頼しているので、褒め言葉を受け取った。
よく分からないけど、信じるよ。そんな風に美しく見えることもあるって。