思索のログまとめ
ブログハードル上がっちゃって何も書けないから下げるために楽なのやる。あともう公に書けるようなネタは無くて。
まとめるのは面倒でずっと放置してきたけど、割とログの中に重要なものがあるので。今の私はもうかなり完成されているので、役に立つ思索は昔の方がしてるからそれを拾う。
殆ど忘れてるんだけど、久々にいいねされたりして浮上したものや、検索して見つけたものを随時追記していく。精神性は書いてきた事と重複するが書き散らしておくには勿体ないやつもあるので。
これ、結構ずっと前から必要だなーと思ってはいたけど、いかんせん面倒だった。
全てリンクすると激重になるのでソースとなる1つ目のみリンクし、あとはコピペする。ページレイアウトはおいおい整える。
優しいだけの何でも受け入れる「いい人」は先がない。変革には必ず、身を守る牙や爪が必要になるから。
現代でいい人と呼ばれる人は、爪や牙を抜かれている。これら身を守る概念の根本は思考力。
苦しみに向き合い、問題を直視して考える思考力が「素質」。
インナーチャイルドの写真を撮ってあげたいなと思った。楽しんでる嫌がってる表情とか、そういう一瞬を保存し、愛でてあげたいと。
当然外側の造形は大人の自分。劣等感に苛まれてきた造形だけど、子供を可愛がるというのは外見なんぞどうでもよくて、造形の奥から溢れでる表情こそが可愛いのだ。
誰が何と言おうと、うちの子は可愛いし素晴らしい揺るぎない存在。自分が親となり自分(子)を育てる。
子が楽しんでいる所を写真におさめ、過去を振り返り愛でるというのは、愛を持って育てている親なら普通のことなんだろう。
私を産み落とした親は形式的に写真を撮りアルバムを大量に作成したが、その全ては「素晴らしい親」の称号を得る為だった。そんな親に写された写真の私は常に無表情だ。
親は嘲笑って貶したけど、自分が実はとても賢い人間であると認め、その賢さを使っていいよと許可すること。
外見など関係なく、自分は愛されるべき存在で、その一瞬の表情を保管してあげたいと願う心。
それは私が本当に子を愛する親になれたということ。私の愛を受けて私のチャイルドはますます賢く、軽やかに生きられる。
外見の壁と縛りを超えられる。そうしたらまた次の世界が見えるだろう。
6年かかった。2014/8/23から始まった取り組み。深い傷でも正しく治療すれば治る。
初期は顔のないのっぺらぼうの赤ちゃんや、言葉を話さないチャイルドを育てていた。
どちらも自分が誰一人信頼せず、理解されたいと望まなくなった姿だった。
でも今は元気に話しくるくる変わる表情を見せてくれる。彼は喜怒哀楽を体現した存在。それを残してあげたいと思えたのは自然な事だった。
3)
他人をどのように計測するかで自分の器が丸見えになる。感情にバイアスがかかると測りは狂う。心を鎮めれば見えやすい。
相手から計測される時、感情による先入観と知識、情報だけで計られると誤解される。相手が対象の心や歴史も含め見ようとしなければ正しく見た事にならない。やはり間違える。
過剰に好きでも、過剰に嫌いでも、正しく相手を測れない。
誤魔化しの好きも、辻褄合わせの嫌いも存在するから。
測りきれないから嫌いに分類する事もあるし、逆に測りきれないから過度に崇拝する事もある。
勝手に測った気になって見下す事もある。間違った計測で見下されて、その評価を丸呑みしてしまう、愚直に近い素直さを持つ人もいる。
自分を愛する事が出来ていると、自分の器を正しく認識できる。低評価を下された時に「なんだこいつ、俺のこと測り間違えてるぞ」と思う事ができる。愛、大事。
見下すのは比較、相対的だが、本来人は絶対値で測るもの。絶対値で測るには、その人と出会ってからの歴史と積もった感情を心に沈殿させる。
感情が揺れるとすぐ濁って正しい値を得にくい。
測る時必要なのは静かな心のみ。感情の澄んだ中庸の心。
家にどうしても戻りたくないし、冷静になって考えるなら、物理的な距離を置くしかない。
数件、支配者に物理的に近い所にいるせいですぐ隷属してしまうケースを見かけた。何度呪を解いても、すぐ喰われる。
住環境を変えるのは面倒で大変だけど、やる価値はある。そして効果は高い。
ずっとそのまま我慢し続ける、という選択肢は絶対選べなかった。そんな不快が永遠に続くなんて耐えられない。なら一時大変な方が遥かにマシだよ。
住を変えたい人、実家から出たい人、頑張って。秋冬は物件動くので見つけやすいタイミングです。
その不快に「耐えなくていいよ、楽になれる新しい場所探そう」と言えるのが「自分への優しさ」なんだよ…
逆に「耐えろ、部屋を探すのは面倒だから」というのは自分を蔑ろにしてる。
今までずっとずっと我慢させてきて、更に我慢させるの可哀想。やめてあげてくれや。
「自分を大切にする為に、一肌脱いでくれや」というかんじ、脱出する引っ越しって。
1)引用
引用tw
優しさしか持ち合わせてない、己を守る為の冷酷を獲得出来ていない人は、それを獲得する為に断ち切る経験を必要とする。
その練習台として搾取者が寄って来る。そこで引き剥がす事が出来なければ、地に沈み終わる。冷酷を発揮できれば、あるべき所に前進する。冷たさは悪いもんではなく必要なもの。
女性が主にケア労働させられてきた為パラメータ優しさだけが高く、他の値が低い。
教育(社会的調教)により牙を抜かれている為、尊重されず損なわれた時に反撃する正当な攻撃性は特に低い為、優しさの搾取がし易い構造になっている。
優しさを誰に行使するか選別できてこその強さ。誰に優しくするか選ぶ。それは自分を尊重できて初めて可能になる。
「この人にもう優しくしたくない」と思ったらしない。思いの素直な実行が自分を尊重する事そのもの。
そこに社会的常識が介入してはいけない。「見捨てたら可哀想」?
そういう言葉に騙され頼られ搾取されてきた私の方がずっと可哀想なんでね!!とぶっちぎってOK。
自分の傷は自分で治すしかない。それをやる気がある人に少し補助する位なら適切。
だがおんぶ抱っこは過剰な癒着。その過程が必要だったとしても、それを得た後、自分で立とうとする人はそうする。
しない人はしない。
自分で立たない人は楽がしたい。自分の傷を本気で治すのは、過去を直視する胆力と解釈し直す知恵、行動を修正する勇気が必要になるからやりたくない。
どれほど助言してもクダを巻き愚痴りながらずっと同じ問題を抱えたまま。
傷を持つ人の中に、2種類の素質を持つ人が混在してる。
自分で立とうとする人。
立とうとしない人の中には、時が来て問題に対する思考が熟成されたら芽が出て動き出す場合がある。
完全に立たない人。世話係を常に必要とする。
優しさで目が曇り、欲される事に存在意義を感じる人は、これらの違いが見抜けない。そして拒否する経験を選ぶか決断する。