川の声

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多摩川に世話になった記憶。私も将来河川敷に段ボールハウスを建てて住むんだと思っていた。そしてその可能性は今もゼロではない。高3で予備校通っていた頃、大学の頃、立川から南下して河川敷に向かった。空は広くて寒々しくて自分の中にあるヘドロの臭気が少し換気できる気がした。10年以上前、病み真っ只中の時期だ。

この前台風19号多摩川が氾濫した。その時思い至った。川は経路を変えられて埋められて体を削られている。だから元の形に戻ろうとする。私たちは地上に蔓延るカビのように地表にしがみついているだけ。変形させた自然の上にあぐらをかいて、デカい顔をしている。これが本来の人の立ち位置。まだ洗い流されていないだけ。

春頃、高田馬場から神田川沿いを歩いた。昼の行きはまだ良かったが、帰りは夜。具合が徐々に悪くなった。昔住んでいた立川らへんは比較的中ごろ~上流だったからまだ清浄だったが、下流になると臭いだけではなく、色々良くないものが流れ込んでいるようだ。コンクリートは循環を絶つ。

水は汚れ、不要物を落とす役割を持っていると最近気づいた。食器洗いや洗濯は勿論のこと、お風呂の湯船につかると疲れが取れるのは、疲れが湯に流されるため。涙は悲しみを排出する。尿は毒素を排出する。それらの不浄が全部排水として川に流れ込むけど、循環は絶たれている。浄水場は表面的に整えているだけで。自然の循環は神様の力。人工的に作ろうとしても作れない。

大学の頃に時間を引き戻すと、絶望的な孤独に居た。夕焼けに蝙蝠が大量に飛んでいる。心は常に隙間風に吹かれ、死なない為に地面を踏みしめている。広くて美しかった。大きくて常に流れていて人のように嘘がなく、真である。

人が傍にいないから孤独だと思っていたけど違った。私が求めるのは人でなかった。川に佇んでいたあの頃は一人ぼっちだと思っていたけど、川や風は傍にいてくれた。本当はそれで充分だった。あの時は感じ取れなかったけど、今は分かる。一緒に居てくれた存在が、嘘が無く真であること。人間に体を削られて理不尽な目に遭っても、こうやって見守ってくれている優しい存在だということ。

あの台風の時、それに気づいた。ありがとう、一緒に居てくれて。すると涙がボタボタと垂れてきた。私の体だけど私の感情ではない。これは川の存在の感情。誰も気づかない。神などいないという言説の蔓延る世界になってしまったから。私は滂沱の涙を流しながら、感情の受け皿になっていた。ずっと気づかれず、支えてきた苦しみ。社寺に隠された名も無き自然。原初のアニミズム。ひとしきり泣き、落ち着いた頃、改めて感謝を述べた。そしてうちに遊びに来てと言った。笑ってた。

今はご飯を食べる前に祈るようになった。形だけの祈りではなく、土から野菜が生まれるのが純粋に不思議ですごいことだと思う。そして心の中で、川の神様と一緒に食べている。