進撃2期所感

あー終わった終わったー。さて頭の整理。
いつも通り死なない程度にベストとベターを尽くした。
そして初めて中間管理職をやってみた。
人を育ててチームを運用する。自分の技術を継承し、一人ではできない仕事量を分散し、人を殺さず潰さず休みつつ働く。
楽しくやれたかって、正直わからん必死で。演技はいくらでもできるけど。

ツイッターで篠原信さんという農学の博士の方をフォローしている。実直で斬新、理のある視点、そして身の処し方を毎度唾をのんで見守っているのだが、本を出されたので読んだ。
自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書:篠原 信 著

この本を読んで最初はそのように頑張っていたけど、矢張り忙しくなってくるとそこまでうまくはいかない。
そんな単純にうまくいかないのは分かっている。だがなるべく休みを取ってもらい、体の維持に努めてもらいつつ、慣れない仕事に励んでもらい、彼らの良い点を褒め、何が良くないかを理解してもらう事に努めた。
そして自分のスタンスは、「出来ない事はよろしく頼む!」に変化していった。
これは最大の変化で、今まで完璧主義だったし自分がチェックし完璧に仕上げる事が最重要だったのに、他人が関わるということは、土台無理な話なのだ。
だからそこはある程度の許容値を超えたら手放す。
「手放す」は一人だと中々できない。人と一緒にやるからこそ「手放せる」。
人の評価なんて曖昧なもんだ。
「ここがあと少しだったのに~~」とか思いつめたって、人は簡単に褒めるし特に注目していなかったりする。
これが自分という繊細な部品の悩み所になるのだ。
だから結果がすべて。その時の時間と詰まり具合によって、70点だって納品する。
70でも90に見えるように状況判断して取捨選択する。

どこまでうまくいったかはわからないが、100点など取りたくもない。
60点取れていれば自分を許す。
生きて終えられた時点で超えらい褒める。
私が選んだ結果こそすべて。
それが120だろうと60だろうと、そうなったが最後、それがベストだったという事。

始める前に手伝ってくれる部下に、自分たちのメインテーマを伝えた。
「仕事に殺されるな。仕事と心中するな。自分を生かし維持しろ。」だ。
一生懸命族は自分を追い立てることが大得意だ。せっつかれなくたってやる。
そしてキャパを見誤りエネルギーの使いすぎで鬱になる。
大きな作品で頑張りたいのはいいことだ。野心があればそれもまた良い。
でも作品が終わっても自分の人生は続くから、自分が一番大切だって、そう言ったのだった。
それがちゃんと果たせたか、まずまずなんじゃねーだろうか。

精神面でも、何を餌に動くかが変化した。
今までは注目されたくて褒められたくて仕方なかった。欲求不満だった。
「こんなに頑張っているのに、誰も褒めてくれない。華やかに称えられてる人がいるのに自分は違う」って。
なんて子供っぽくて可愛らしかったんだろう。そして鬱陶しい。
なんだかそういう欲望は、もうどこかに行ってしまった。
仕事の目的は「芝居のエッセンスを如何に客に味わってもらうか」なので、注目されると逆に邪魔。
客の意識に先入観を与えてはいけない。
だから悩んだが、宣伝はしない事にした。そんな余裕もなかったし。

さて、知られない事はまた別の弊害も齎すんだが、それはお金だったり名前が売れないことにより評価されないことにある。
でも色んな事情により、それでも良いか、とも思う。お金に関しては言いたいことは山ほどあるが。

ストレスで顎関節症になったり痔になったりひどい疲れ目肩こり、デスクワーク病満載だが、風邪系は一度もやらなかった。
毎日マスクしてうがい手洗いしていたから、かもしれない。
風邪ひいてるのに会社に行かなければいけない状態は狂っているので、なるべくそうならないように健康管理はしっかりしていた。
それでもストレス性胃腸炎にはどうしても定期的になってしまう。
お菓子の馬鹿食いがそれの原因だ。
それについては別の記事にまとめようと思う。
作業中聞いていた動画、興味が広がったエリア、知った事柄で、私の精神はあっちこっちで、両立は結構大変だった。

微妙に本名がばれている状態や、仕事と分離できていないこのブログ、本当は精神側にシフトしたいんだけど、引っ越ししようか考え中。
もう戻れない所まで来てしまった。来るべくして来た。
趣味の時間がとれる仕事がしたい。