ひねくれ鳥、海へゆく_lyrics

soundcloud.comひねくれ鳥、海へゆく  作詞作曲歌唱 iojjj


言葉などいらないの
踊りだけですべて伝わる
そうでない世界が嘘なだけ
陰にまぎれて見つめてる

この身が自由になれるのは
この1坪の壁の中
窓ガラスを叩き壊して
身を乗り出して狂いたい

甘やかしてくれ 吹き込む風は
流した血を 拭い去り

雪解けは今
ここに隠した舞台の鍵を優しく握った

ああ 溢れてしまったこの海を
誰か見届けてくれないか
この大波も 揺れもしぶきも
踏み鳴らすかかとも

ああ 軋む背骨 もう隠せない
かき鳴らす伴奏が
私をずっと待ってたんだね
幕はあがり 踊りだす
ride on soul

振り返れば 影は閃き幾重も形を変える
それが時に 隣人を助ける
果実となることを 知っているか

間引かれた棘が嘆く
優しさをはき違えたと
無垢であることを恐れず
はだかのままで踊る場所を探すんだ

掘り起こしてくれ
欲しくないふり 裏に潜む強欲は

心臓を掻きむしり 笑いたきゃ笑えと
ほとばしり 叫んだ

ああ この命 恥ずかしくないと
声も顔も体も
踏みしめ立つ
跳ね回る 噛み砕く 氷の視線を

硬く守られ
出る事も叶わぬ 乾いた砂漠の
埋もれたハンドルを握れ
雨は降り 殻は割れる

ああ 溢れてしまったこの海を
誰か誰か 見届けてくれないか

ああ 軋む背骨 もう隠せない
かき鳴らす伴奏が
私をずっと待ってたんだね
幕はあがり 踊りだす

ああ この景色に刻む
こころのかたち
いびつなからっぽは いつの間に
こんなにも満ちていたの

海原を駆けてゆく一羽の鳥
もう もう誰も追いつけない 
果ての風

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soundcloud、昔の音源も置いてきた。昔の歌詞もジャケットも置いといた。あれから9年か。

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今回のひね鳥の歌の裏側。先生とのやり取りが重要過ぎるので記録した。私が読み返す用だけど、作る人に必要かと思って公開しとく。
なお、↑の9年前の音源は「綺麗で正確」な歌だ。

 

落書き

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落書き。背景めんど。

ジャック・オ・蘭たんというゲーム実況の人を知ったのは、pixivの表示の中でいいなと思った絵がその人を描いたものだったからだ。描き手のセンスが良く、私のツボだったからだ。

それから「moon」実況を聞いてみたら面白かった。蘭たんが有名な人だと知った。

ただ、私がいいなと思ったその人の絵は似顔絵でも何でもない。顔は伏せられている。そのデザインは、多分声と実況で見せる性格から想起されたもので、ニコニコ等の中でファンが描く姿はデザインがある程度統一されていた。

不思議だ。顔が見えないだけで、こんなにもファンは都合よく姿を妄想するし、仮の姿であってもそれを土台として愛でる。

美少年である保証はないのに、美少年「とする」し、それに都合よくフェティシズムをぶちこむし、他実況者との関係性に萌えたりする。

偶像崇拝の原型?を見ているような気がする。

私は一番始めに見た蘭たんのファンアート、しかもその人の絵のみが好きで、他の人のファンアートにはあまり心が動かなかった。

その後聞いたmoon実況は面白かった。あの絵がそう描かれる事には納得した。

でも私がそれをイメージして描いたこの絵は蘭たんでは無いだろうし、その人の絵が好きでデザインを真似て、フェティシズムをぶちこんでいるだけだ。

性欲と外見主義の不思議な世界。

中悟

七月始まりに、ぶわーーーっと膨大な記憶が巡り、体験が熟成して拠り所となった感覚で、わかったーー!と思った。

それをどうにか書き留めておきたかった。読む人には意味不明かも知れないが。中悟だと謙虚に言っておこう。

 

占いとの関わり方が確実に変化した。情報や知識なんて、要らないや。

例えば蠍座だろうが、子牛天中殺だろうが、大安仏滅一粒万倍日だろうが。

全部全部、ウッルッセーーー!!と思うようになった。

情報によって縛りを受ける事は限りなく馬鹿らしい。それは自分にとって本当に正しいのか。信じる価値がある情報なのか。

私は自分の気分を最も尊重したい。だから余計な情報は要らない。

 

25歳の頃、石井ゆかりさんの蠍の本、大層世話になった。よくわからなかった自分の形が理解できた。同時に全く意味不明だった初めての彼氏(モラハラ)が自分とは全然違う行動原理で動いてる事を理解できた。

しいたけさんの占いにも同時並行ではまった。芸能人や著名人に全く興味が無く、そういう話が多くて段々離れたけど。マス向けなんだな、と思った。おいら完全なるマイノリティ。

石井さんしいたけさんの年報、上半期下半期、いつも楽しみで、同居してた頃は友人と、一人暮らしになっても1人で読んでた。

当たってる事が多かったので、見えてる人だなあと思ってる。

なんとなく星座占いが一致しないと感じていた頃、明日香天翔さんを見つけてフォローした。何かが変化して今までの波長が合わなくなったら別のチャンネルに切り替えると一致する人がいるようだ。

 

ただ、私が会社を辞めてどんどん独自のワールドに引きこもった為か、どれもこれも全くピンとこない。

当たらないというか、人と関わりを殆ど絶ったので、外面的には何も起きないのだ。ただ自分の中だけが著しく変容していく。

 

一口に蠍といっても、100万人単位でいる筈だ。知らんけど。その中でバリバリやってたキャリアをぶち抜き捨て、完全な与太郎と化した私と、働き学ぶ社会適合な人々。そりゃ当たらないよ。無理もねえ。

 

同時に、未来を読む事に興味が無くなってきた。私は自分の中はゆっくり目まぐるしく変化しているけど、対外的に何かしてるわけではない。

麗しい言葉に期待するとガッカリする。当然の話だが。

これは、未来を楽しみにするための言葉だ!これで希望を持てるんだ!

希望がなきゃ生きていけないよ、こんな辛い世の中。だから占いは流行る。皆希望が欲しいんだ。

私は寧ろ、未来を見ないようにしている。今しか見てない。だから計画立てるとか、ウルセーーー!と思う。

私の中身はそういうのが特に不得手のようだ。気ままに動く事が一番心を損なわない近道で、結果的に回り道になるかも知れないけどそれでいいのだと思う。

 

一番嫌なのは、書かれてる内容と私の行動、心理が一致しない時「私が間違った選択をしてるのか?」と疑念を抱いてしまうこと。その意識が大変うざ面倒くさい。

私の選択に間違いなんか無い。誰彼の選択肢も、間違いは無い。

例えば車に轢かれたら、それ以降ものすごく注意してチャリに乗るようになる。だからその日外出した事は凶ではない。

スポーツの予定を立て早朝出発したら階段から落ちて捻挫してキャンセルする。それ自体は痛いし悔しいけど、行く途中で何かに遭遇するとか、スポーツで事故るとかを回避したのかも知れない。

とあるセミナーに金をつぎ込みある程度学べたが、そのグループ内での違和感から依存搾取の関係を看破すれば、今後同じ類の狸には二度と引っかからない。

そういう実験と学習と繰り返しで人は大きくなっていく。

だから何を選んでもいい。その時点で心が赴くままに。

 

未来を予測するのは、失敗を回避する運動だ。

でも失敗は存在しない。長期的に見れば失敗ではない。

刻んだネギを床にばらまいてガックリしても、「あ、ウッカリしてた。疲れてるのか」と判断材料にして休むだけで。ウッカリ状態でそのまま頑張るとろくな事が起こらない。

 

だから、これを選んだら失敗だろうか、とか逡巡するのは無意味だ。選べば粛々と道が拓ける。そうやって進むんだ。それがやっと理解できた。

だから、心の向いた方向を阻害されたくない。

いつが吉でどこが凶なんて関係ない。新月に始めて満月に達成するとか関係ない。

新月なのに始められない自分、満月に終わる計画を立てられない自分、そんな劣等感はクソだ。思い立ったその時やりゃあいい。完成しようが途中で放り出そうが、どっちでもいい。

新月までこの短気で飽きっぽいやる気が保たなかったらどうするんだ。せっかくのやる気が!今使うしか無い!ラフでいいから出せ!

 

暦や占星に因果関係を求めすぎると心が歪む。気ままに暮らしてる筈なのに縛られる。

自分の気が向いた時、それが好機ってだけで、外枠が言うことと違ったっていいじゃん。

本来なら枠にはまらない筈だ、誰しも彼しも。個人にカスタマイズされた星があるのだから。

占星術やらを頭から否定してるわけでは無い。ミクロコスモスとマクロコスモスは照応するから。)

 

星座も旧暦も面白くて結構調べて本も読んで、色々な見方をすると分かった。それで十分。

「色々な見方をできる」ようになるまでがステップだった。その見方さえ会得すれば、知識はもう不要。

グレゴリオ暦とか太陰暦とか、色んな計算を昔の人が頑張って、夏、殷の時代から始まり、巫覡や陰陽師がいて。将軍が名を上げるために無理やり新たに計算方法を作れと命じて結局失敗したり(いつの世も変わらねぇな)。紆余曲折して変化していく。由来の無い占いが江戸のカレンダーで流行って、それが現代に続いたり、江戸から明治になる時庶民が西洋の暦を押し付けられて、現代日本は歪んだ暦だとか。

 

一体俺たちは何の上に立っているのか。

時間さえまともでない。決められてるから確固たるものと思ってるだけ。

何が真実で嘘なのか。しっかりした土台なんか無い。ふわふわした中空に浮いてるだけだ。

でも、探すなんて無意味だ。知識も歴史も嘘が沢山混じっている。だったらこれだと思うものを選ぶだけでいい。それが「正しい?」のかは、勿論「正しい!」のだ。自分の選択したことなら。

 

初めて付き合ったモラハラは死ぬほど嫌な思いを散々した。その後付き合った二重人格の人も結構恐ろしい思いをした。

でもその選択を十分に咀嚼してめちゃくちゃ賢くなれたから、それは結果的に凶ではなかった。

だから、もし友人がどっかの宗教に入ると言い出しても止めないし、変な男に捕まっても止めない。それは本人の自由意志で選んだなら、きっと本人にその体験と咀嚼が必要なのだ。

 

各自ふわふわの中空でのびのび生きていきましょう。ここには地面なんて無い。信じるのは己のみ。

 

昔先生に「確固たる地面なんて無いよ、浮いてんだ」と言われた時、私は不安で不安で泣いた。確固たるものが欲しかった。でも要らねえわ。大丈夫。今全然欲しくない。

先生と臨済さんにやっと追いついた。嬉しい。ずっとチマチマ山登ってたら、いつのまにか眼下に雲海が広がってた。

断食、胃腸炎になる前にやってみようの巻

断食1日目だ。つらい。気を紛らわす為に書いてる。

 

私はストレス喰いをするタイプだ。何かストレスが溜まると、思考をストップさせる為に何某かを喰らう。私にとって食は逃避だ。喜びでもあるが、逃避の側面は確実にある。

なぜこんなに食い意地が張ってしまったのかは生い立ちに依るところだが、とにかくご飯お菓子大好き。自分で作るし凝り性だから行き着くところまで行く。

具体的に言うと自家製酵母を作ってパンを捏ねたり、クッキーは何十回と作り、タルトやシフォンも作る。肉を脱水し燻製する。小豆を茹でて餡子にし、饅頭を蒸す。自炊をやり尽くした結果「作れないものはあんまり無いな」ということが分かった。材料と手順さえ分かっていれば、やればできるのだ。店で売ってる製品であっても元々人が作ってる物だから。

添加物を如何に入れずに普段通りの物が作れるかに興味がある。市販の物は結構すごい表示量なので。

原材料の素材がどういう性質をもっているのか調べて実行するのが面白い。それがどう体に作用するのかも。

和洋中印関係なく作るのは楽しい、食べるのも楽しい。

問題は私が一人暮らしである事、食欲に歯止めがかからない性格だ。

だから作ったものは1日で消える。お裾分けできる人が側にいればこんな事にならないのに。残しておけない。残ったら割と奇跡。ケーキ焼いたら半分が味見に消える。粗熱が冷めるまで待つのは中々難しいのだ。子供か!待てない、待つのが嫌だ。意識がしっかりしてれば待てるけど、やはり食べ始めると止まらない。

それは砂糖とインシュリンの成す技だと分かってはいるが。

パートナーは電車で20分の場所に。近所に住む友人はいない。

パートナーと会う時は勿論渡す。反応を見るのが面白いからだ。ただ渡すはずの物を食いきってしまう事も多々ある。友人には滅多に会わないが会う時タイミングが合えば作る。

 

この自炊能力と過食性質と多忙な仕事が重なると、頭のイカれたレベルの食いしん坊になる。更にポテチ狂いだ。芋けんぴ大好きだし。ゴリゴリ噛む事でストレス解消してる。そして喉越し。飲み込む事でストレス解消。

この為アニメ仕事をしてた頃は周期的に胃腸炎になっていた。

大体のパターンが

暴飲暴食の日々→なんか食べてもあんまり消化してくれないなぁ→胃もたれの日々→嘔吐!下痢!→胃腸内科に駆け込む→ああ、胃腸炎ですね。2日3日食べちゃダメです。胃腸を休ませましょう→だ、断食を調べよう!成る程、食わない事で利点が沢山…現代人は食い過ぎ!ワカルー!→めちゃつらいが1日2日何も食べない→回復食のお粥、往々にして食べすぎる→何とか復帰→そして熱さ喉元過ぎれば暴食へ…

 

このパターンを4、5回やってる記憶がある。学習しないというか、そういう行動に追い込まれる環境というのも大きい。勿論根本治療には自分の性質を見直すことが不可欠ではあるが。

仕事が佳境で死ぬほどやばい時抜け出して胃腸内科に行ったら「脱水やべーから点滴打つぞ」と言われて会社の近所の病院で点滴を打たれた事もあった。室長に電話して「今から点滴だそうです」と一時離脱の許可を貰った。ベッドでぼーっとしてると離脱の大義名分ができてやっと休めたような心持ちだった。打ち終わって2時間後には戻らなければいけないのだが。

 

今回断食をするのは、最近消化の不具合が出てきた為。特に米が消化不良になる。よく噛んでないせいもあると思う。

カレーは飲み物、一時流行った言い回しだが、カレーに限らずこれをやるとマジで体調がおかしくなる。喉越しで食う記憶は悪夢。喉で喰らうと過食に直結する。

 

とにかくこのままでは嘔吐下痢、胃腸停止の毎度のパターンにはまってしまう。それを察知して先に断食をする!という思いつきだ。計画性はあまりない。戻ろうか、と思ったらやめるつもりでいる。

1日、2日、3日、6日、等断食は日数にばらつきがある。前後に準備2日、回復食2,3日をつけると結構な大規模イベントだ。

断食を1日で終えたとしても回復食だけはしっかりやろうと思ってる。そこを外すと体が危なそうだからだ。お粥食べすぎ、我慢できるだろうか。チャレンジだ。できなくても自分を責めない。

ダイエットより排毒目当てだ。体が軽くなるのは歓迎だが運動不足は自覚してる。

 

断食をググる酵素ドリンク野菜ジュースがトップに出てくる。そして流行ってるように見える。多分売りたい企業がそういう操作をしてると推測してる。

成分表示の無い強気な価格の、砂糖ブドウ糖類果糖は摂取したくない。つーかそれ、インシュリン的にダメじゃね?と心配になる。興味ないから詳しく調べてないけど。

ヨーグルトを摂取する人もいるが、結構色々入ってるし、日本人は牛乳の消化酵素を保持してる人は少ない。乳製品は取らないようにしている。(チーズは別!チーズ好きで困る…!発酵が何とかしてくれてると願いたい)

 

と言いつつ、準備期間1日目に私は喫茶店で柚子ジュースとレアチーズを取ったし、2日目の夕方はジンジャークッキーを焼いて食ってしまった。砂糖の魔力から全く逃れられていない。

準備期間は「まごわやさしい」の糖質以外をメインに食すべきなのだが、まーやっちゃってる。今までの習慣性が全く抜けてない。

 

準備期間1日目

キャベツ玉ねぎをトマトで煮込んだスープ。(以前作ったささみ燻製ジャーキーをいい加減使わないとやべえと削って入れた。硬くて切れず削るしかない。これがめちゃ良い出汁となってくれた。コンソメ等に肉の粉末表示があるの、これか。スナック菓子にもある。添加物ではない正しい肉の粉末、こうやって使うのかー!と覚醒した瞬間だった。)

公園を20分位散歩。スープに炭水化物が入っていない為スタミナゼロ。いつもなら余裕で歩ける距離の半分以下で離脱。

公園近所の偶然開いてた週一しかやってない喫茶店の菓子。好奇心が最優先だから、と言い訳する。でもお店の人と話せて楽しかったからいい。

どうにも空腹で23時頃炊いた米で小さなおにぎり2つ。でもこのおにぎりが消化不良になる。粥のようにしなければ最早私の胃は消化できないと判明。この日は若干頭痛気味。

 

準備期間2日目

午前は図書館に徒歩で往復20分程度。

米残りをぶち込んだリゾット的な粥。

足りないよー!と夕方ジンジャークッキーを発作的に作り食べる。以降絶食に入る。

砂糖が良くないと分かっていながら、習慣性に勝てなかった。「砂糖は麻薬」という言葉を、仕事して砂糖に頼り切ってた頃は信じたくなかった。でも今ならそれは真実だと分かる。やめるのは難しいけど。(←そこがもう既に!ソースは映画「甘くない砂糖の話」をどうぞ)

借りた野口晴哉「整体入門」を読み少し実践する。良い本だ。買うかも。頭痛は少し良くなった。

18時頃ウォーキングを思い立ち50分程度歩く。

風呂に入り汗を流し、夜は飢えつつも気晴らしに掃除をして寝た。

 

断食1日目

朝からだるさの極み。水を飲みにキッチンに歩くのもしんどい。元々起立性低血圧で立ちくらみもある。指の先まで均等にだるい。思考に体がついていかない。スマホの文字も追うのがつらい。寝てるのに目眩がする。

ベッドで寝るしかない。洗濯しようと思ってたけどそれどころじゃない。スマホも文庫本も重い。

11時頃起床。最近夜更かしで昼起床になってしまってる。だから昼はご飯の時間。空腹で死にそう。

梅醤番茶を思い出した。まだやったことがない。やりたい!(好奇心は優先順位最大。他にやることもないし!)ただうちには普通の煎茶しかない。正しい番茶と普通の煎茶は体への作用が違うらしいのだ。カフェイン量など。お茶は農薬の問題もある。茶は…桑の葉粉茶があると思い立って梅干と水と粉茶で合わせて少量飲んでみた。

桑の葉茶は糖尿予防になるお茶だ。今まで割と食前にとってきた。最近はサボっていたけど。

粉茶は、粉の固形物が存在する。煮出した粒子よりもっと粗い。その為か飲んだ後苦しくて嘔吐で排出してしまった。胃酸過多の雰囲気もある。

「せっかく休んでんだから固形物入れんなよボケ」というセリフが胃から聞こえてきそうだ。

 

このミスも、私の食い意地によるものだ。暇だから寝ながらスマホで調べていた。甘い野菜ジュースを使わない派の人々(砂糖害を理解してる人達)は代わりに

基本は水+塩、(亜流で具なし味噌汁)を使用するようだ。

具なし味噌汁について、味噌の酵素は胃腸に良いので、理には叶ってると思う。ただしガチの味噌でないとあまり意味がない気がする。確か5〜60度?以下で味噌を溶かないと酵素は死ぬと聞いた。

ただ栄養素的には、味噌、結構栄養あるのでは…それは消化器を働かせることになるのでは?と疑問だ。断食中具なし酵素ドリンク代りに味噌汁を勧める記事は一件のみ。

具無し味噌汁は、回復食の時に有効そうだと思った。

 

この具無し味噌汁、桑の葉梅茶、微妙に栄養がありそうなものを摂取した方がいいのでは、という思考。これは食い意地の思考である。

そもそも何も摂取せず(水と塩を除く)断食なんてキツイんでは、という今までのパターンを踏襲してる。「栄養取らなきゃ、食わなきゃ無理」という先入観だ。

そもそも「食わなきゃ」思考は親に植えつけられている。私が太って痩せた経緯は

薬漬けの人の体重増加対策、一例 - どこにでもいてどこにもいない

に書いたが、とにかく「食え」「残したら殺す」圧が酷かった。その残り香が今も抜け切っていない。

現代人は食い過ぎで「1/4自分の為に、4/3医者のために食べている」ということわざもあるそうだ。

出典 https://rutty07.com/entry/fasting-01/

それはものすごく分かる。真実を言い当てていると思う。

だが食文化を愛している。作るのも食べるのも楽しいし好きだ。悩ましい。

吐いた後は水、肉桂葉の茶、微量の塩をとった。だが基本動きたくないので、大した量飲んでない。500mlにも満たないかも。熱中症的症状にならないよう気をつけたいが、暑くないのが幸いしてる。

断食中は水を飲め飲めとよく書かれているが、飲みすぎるのもそんなに良いもんじゃないと思う。排泄するにはある程度の量必要だが、保水するには出しすぎては良くないし。汗をかいてるなら摂取した方がいいけど。一気に飲むと尿になるので、体に保水したい場合は一口ずつ、少しずつ飲むそうだ。

 

1日目排出したもの、症状は、

深くから出てくる感じのおなら。おしっこ。便は出したい感じはあるが元気無さすぎて出ない。ゲップ。少し粘っこい目やにのような涙のような。汗、36.9度の微熱で皮膚が全体的に赤くなる。両脇が臭い。おりもの。朝からとにかくだるい。夜はマシになってきた。平熱〜微熱だが寒く感じる。

脇の臭さはストレスによるものだと整体で教わった。今まで多少臭くなることはあったけど普通の範囲内だった。今回は「排毒してるんだなぁ」と思うレベルに臭気が少しアップしてた。

 

汗をかいたまま拭き取らないと、汗で排出した毒が皮膚に内攻して良くないと教わったので軽く風呂に入る。頭は洗わない。濡れた髪を乾かす体力が無いからだ。

 

明日も継続するか、明日から回復食に入るかは明日勘で決めようと思う。

今まで厳しくしすぎた私は自分に甘くしてあげたいけど、それが本当に甘いかどうか…胃腸にとって断食は優しい。でも人格にとってはやめる事が優しい。相反する。

今まで体を酷使してきた。せっかくやるなら体に優しくしてあげたい。でもそれは思考の結果だ。勘ではない。

どちらの分岐を選んでも良い。私自身を責めないようにする。この先いくらでもチャレンジする事ができるのを忘れない。

今日いつ寝れるだろう。夕方寝てしまったからなぁ。

キッチン

かの有名なキッチンを読んだ。読み終えた。吉本ばななさんの作品を読むのは初めてだった。

 

家に居たくない為に図書館に朝から晩まで入り浸り、とにかく読み耽ったのはミステリだった。いつも陰鬱で死の匂いがするものを読んでいた。(ハイジや15少年漂流記、ナルニア国物語十二国記も大好きだったけれど)

小学校で乱歩、中学で宮部、高校で京極。乙一にリングに螺旋。陰鬱な事情、積み重なった澱を、殺人事件が発端となり探偵が暴く。

人を殺す程の突き抜けた衝動はよく理解できた。殺す理由、殺される理由。どちらの事情も。そうしなければどうしようもない。それしか打開策がないと思わせる袋小路がとても共感できた。実行に至る事情が酷ければ酷い程。

そして動機を探偵が暴くのは、殺人事件において必要な過程だった。澱の溜まるシステムを告発し暴く。暴かないと整理ができない。

私の暮らしていた家も最早時間の問題で、いつ私がなにがしかの事件を起こすのでは、といつも思っていた。

乱歩作品に出てくる奇妙な人物達は、母親にそっくりだった。

 

キッチンは誰も暴かなかった。大切な人が死に空虚になった心に枯葉が積もっていくのをドラマとして描いていた。とても自然だった。枯葉は優しく包み、癒していくのだろう。

登場人物は普通の人だった。普通に愛されて育ち、空洞を抱え、その様子を美しく描いていた。

読み終えた今、不思議な気分だ。大切な人が死んで、苦しいのに色彩が鮮明な。日々が輝くことは殺人事件よりずっとずっと地味だけど、それはそれで愛すべき日々なのだ。

そういう作品を今まで避けてきた。愛を既に獲得している人物は、共感に値しなかったからだ。話の中では一時的に人が死ぬことで喪失してるけど、持たざるものは喪失さえできない。その辛さは比較する事ができないものだけど。

地獄から抜け出して明るい道に出た自覚のある今読んでみても、この人物達は大層しっかりしているように見える。大変に大人で、感情表現もスムースで、思いやりも生活力も決定力も申し分なく、社会に適合している。

以前の私が読んだなら、羨ましくて嫉妬して最後まで読めなかっただろう。今は「へぇーそうなのかぁ」とすんなり読める。

少し羨ましいとは思う。大学生の時こんなに自信があり情緒が安定してるなんて。根の暗さを全く感じない。感情表現のエリートだと思う。

人が死ぬ事で浮き彫りになってはいるが、描かれている空虚はこの人らに元々寄り添っていたものだと思う。空虚に肉迫している。その視点があるから読者は孤独にならずに済む。普通の人のように見えるけど、感情のエリートだけど。作品の中にもグループがあり、死の匂いのしない幸せそうな人達グループはやはり主人公から見て遠く描かれていた。

喪失の中で見る色を言葉に書き写していくのが、この人は大層上手なのだな、と感じた。出てくる人物達が見せる勘の良さ、鋭さは、作者本人の持つ才能だと思う。

カツ丼を届ける発想がとても良かった。行動してから考える。行き当たりばったりが結果的に良い結果に結びつく。

その「考え無しな正しさ」というものを多分私も持っている。それを死ぬまでには輝かせたい。

読み終えたばかりだからまとまらないけどいいかぁ。

ミステリばかり読んでた子が大きくなったなぁ。こういうのも読めるようになったんだ。

大学生の時の数少ない友人がこの作品を好きだと言っていたのをずっと覚えていた。やっとその蓋を開けて中身を見る事ができた。彼女とはもう疎遠だけど。

洗脳潜入体験ルポ_暗闇で踊る

随分前だから解禁しよう。強くなった今ならもう堂々と意見を言えるから。

某喫茶店の集まりから仲良くなった人に誘われた、洗脳系瞑想セミナーの実録です。

あと試験的に課金制にしてみた。稼ぐことへの苦手意識を克服しよう。1万2千字書いたしね…あ、払った金額と同じやん!

課金せずともかなり長文読めるし、概要も掴めるよ。

本の叡智

藁も掴みたいこの現世、本が頼りだった。だが本もピンキリ。死にそうな時に掴んだ藁、こりゃ藁じゃねえ、立派な木彫りの船だ、何よりも輝いて見える。って本を紹介。

豪華客船やフェリーは望まない。それらは自分で動かせないから。他人と石油に頼り切りの船ではなく、自分の智慧と工夫で波を乗り越えたい。そのヒントになってくれる本達。アフィではない。時折追加変更するかも。紹介では便宜上密林を貼っているが、通販はなるべく楽天等を使うようにしている。一応日本企業だから。お金の流れを考えるとそうした方がいいかなって、ささやかに。

 

多分地球の奥底かどこかに智慧の泉がある。これは確信に近い。そこにアクセスしてる人が居る。淀みも飲みくだした後に強くなって、体内で濾過した智慧を伝授していく人達。少数なんだけど居て、同じ水源の匂いがする。善によって立つ者。

なお、作者全てを賛美するものではない。ある分野でとても的確なことを言う人が違う分野だとなんか違うくない?と思う事は結構ある。

盲信は知を妨げるので、私はしないようにしている。例えば1人の意見の中に、信用できる、腑に落ちる部分8割、うーんどうかな2割あるとしたら。この2割はとても大切な違和感なので、潰さず持っておきたい。なぜ違和感を持つのか、そこに重大なヒントが隠れていたりするから。

 

  • A1)仕事_[自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書] 篠原信 著
  •  A2)子どもの地頭とやる気が育つおもしろい方法 篠原信 著
  • B)心としごとの折り合い_[ゆっくり、いそげ] [続・ゆっくり、いそげ] 影山知明 著
  • C)おかねほしい、より以前に貨幣とは何か_[エンデの遺言 根源からお金を問うこと]
  • D)宗教は人を救うか?_[臨済録
  • E)こころをひもとく、癒す_[ちひろ][ちひろさん][寿司ガール]安田弘之
  • F)捕食する人される人_[良心をもたない人たち]マーサ・スタウト著
  • G)虐待百景-コントロールする親、他様々_[毒になる親]スーザン・フォワード著

 

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