ゆりかご論


引用させて頂きました。

そうかな?皆そんなに心が強いのかい?
現実を理解した上で楽しむなんて、そんな線引き出来るなんて、屈強な人間だ。
「オタクや腐女子は恋愛できないから代理で二次元に求めてる」
というのは明らかに第三者がヲタクを馬鹿にする・見下す発言なので、「現実理解した上で楽しんでいるに決まっているだろ」と反論するのは当然かもしれないが。

小学校から高校まで、果てや大学までか?
縋るものがなければ、キャラクターという神様位しか「私を理解してくれる人」なんかいないだろう。
私は恋愛できないから代理で二次元を求めたそのまんまのヲタクだった。
現実は苦しい。
・太り気味で弟から「おいデブ」と言われ、親からは「お前の背中は関取みたいだな」と言われる
・わき毛とかをどうしたらいいかも分からない。それを口に出すのはタブーのような気がする
・1階リビングでは私の問題行動の議論と悪口が繰り広げられるので、2階の自室に籠り本を読むことが全てになる
・1階に下りることが怖くなり、1階の風呂に入れなくなる。結果汚い。

結果、恋とは顔が可愛くてスタイルが良い人のもので、自分はそういった生き物ではない。だが心は求めるので、「分かっていますよ二次元ですね」という体裁をとった上で楽しむ。
だが私はその体裁を取っているだけで限りなく信じていた。

こんな人は結構沢山いると思うが(仲間いるよね?という願望)、現実に友達は居ないけど、本の中には沢山いるのだ。
共感して頷いて笑いあえる仲間たちが。

誰が何と言おうと、頭の中では本の中の人たちは生きているし、そこには二次元と三次元の乖離はない。
頭の中は自由だ。最後の砦だ。
侵略されきって疲弊した自我の、最後に自分を守るゆりかご。
その中にまで偏屈で不条理な3次元を持ち込まないでくれ。

苦しい思いをした人には、ゆりかごが必要な時期が必ずある。
日本という土地でこれだけ漫画とかアニメが発達したのは、皆がゆりかごを求めているからだと推測している。
ゆりかごと、「分かってくれる友達」。
そのスピリッツに耽溺したっていい。痛いと言われていい。
痛い時期は誰にでもある。
でもその痛い時期を「そんな次元で考えていません。2次元て理解していますから」と距離を取って楽しんでいると、大きな主語で宣言しないでほしい。

それ以前に「オタクや腐女子は恋愛できないから代理で二次元に求めてる」という大きな主語の決めつけから発展しているのだが、この発言は完全に頭の外の、さらに大外の部外者からの決めつけ。
でも結構当たっていて、それに傷つけられたくないからマウント取りながら反論しているように見える。

違うんだ。必死に生き延びようとしているだけなんだ。
本や漫画やアニメは、人によっては延命装置に相当する。
必死に生き延びようとする奴を嗤う奴は論外で、相手するに値しない。

かつて耽溺した世界が、私に呼吸をさせてくれた。
甘い世界があるから現実に立つ事に耐えられた。
死ななくて済んだので、やっと現実を謳歌することを覚え始めた。

外見をましに調整する程度には鏡を見れるようになったし、会話が不可能な人とは距離を置けるし、彼氏もできたし、話し合いで解決できるようになった。

私は今はアニメを仕事にしているけど、今興味があるのはミヒャエル・エンデやシュタイナー、ゲゼルとか。貨幣経済の謎とか四次元とか、そっちの方向のヲタクになりつつある。

趣味趣向が変わっても、私の友達、恋人になってくれたキャラクター達の事はずっと大切だ。彼らがいなければ死んでいただろうから。
彼らは存在するのだ。

忙しい最中衝動で筆が動いた。これは「愛が無ければ見えない」の範疇の話だな。うみねこのテーマ。
トイアンナさんのブログやtwは拝読しているし、厳しい状況から這い上がった上で、皆に脱し方を伝授しようとしている方なので、特にケチ付ける気はないのだが、魔法の考え方に対しては大分違う世界だな、と解釈した。