優しさは水

[精神安定のための何やかんや]

一人暮らしになって、それまで関わりあった人がどんどん減っていった。
密かに気にかけている人が少しいるだけで後はどうでもいい。
すると大変シンプルで面倒のない状態になった。
捩じ切れそうな時に優しい人に寄っていく勇気も多少持てたし、自分が好きな人だけを誘う事もできるようになった。

それまで人との関係に悩んでいたのは、全て自分の受動的な性格によるものだ。

自分から人を誘えない。声をかけられない。
だから人から誘われると嬉しくて絶対行く。
この段階で主導権が他人になる。
他人に期待する。
他人が期待通りの行動をしないと裏切られた気分になる。
自分が嫌なことを自覚できない麻痺状態のため、他人に瞬発的にNOを言えない。
そのため他人が私の了解範囲を勘違いする。
自分と相手の基盤が水面下で破綻していく。
少しのきっかけで爆発。
etc

こういう負パイラルに慢性的に嵌っていた。

一歩抜けたのは女神に出会ったから。
ちひろ 上
ちひろさん 1
寿司ガール 1

ちひろが私にとって女神だった。
ショムニ安田弘之氏の作品。
元同居人の白石に借りて何度も読んだ挙句自分でも購入した。
下北沢のB&Bという本屋で安田氏と写真家の女性の対談があると知り、飛んでいった。

安田先生は恰幅のいいツヤツヤしたおじさん。
目がものすごく大きくてパッチリしている。
周囲1mが凪いだ海みたいな雰囲気。穏やかで静か。
でも深海には冷水が流れているような、スッとした空気も持ち合わせている。
鋭い洞察力で人を見抜く。
好きな人、希望のある人以外は切り捨てる酷薄な面もある。
だがそれによって清浄な空気を維持している。
他人と自分の領域をしっかり守る。
だが融解させることもできる。
自立、自律しつつ人を助けられる余裕のある人は中々いないので、中々お目にかかれないタイプだ。

安田先生は趣味で人のカウンセリングをされている。流しのカウンセラーである。
「ちひろさん」の主人公ちひろも同じ。
物語の中で人の鍵付きドアから核心を取り出して「これがあなたの知りたかったことよ」と言う。
人の面倒を見る時もあるし、面倒な時は関わらず、自分の好きな事をする。

割愛するが、私は安田先生に面倒をみて頂けることになった。
8月末から困り事を相談している。
困り事は多岐にわたり、写真に写りたくない、毒親、毒家族、人間不信、癇癪持ち、破壊衝動、自分を尊重できない、など種類豊富バラエティに富んだ生きにくさ。
一つずつ話しながら、こんがらがった因果関係を解体している。
人が歪むには必ず理由がある。
自分でもあたりをつけて自主的にかなり過去を掘り進めてはいたけど、手伝ってもらうと全く違う側面を見られる。

解読できなかった嫌な出来事が、先生の手にかかるとスルスルっとほどける。
ほどく他に、色んな不可解だった謎の答えをもらった。
自分が大層な人間嫌いで、本当は人が沢山いる場所が大嫌いとか。
見えないものの影響を受けること。
人の嘘がすぐ分かるから、できるだけ人間と関わりたくないこと。
何となく嫌な不快感は、相手の嘘に反応していたんだ、ということ。

嫌な不快感を出来るだけ無くすために、嫌な人との関係を絶って、できるだけフラットな状態にする。
でもやっぱり人間の枠組みからは出られないから、好きな人とは会うようにする。

[優しさは水]

優しさは水のようなもので、人によって濁流も枯れ井戸もある。
水不足の一帯もあれば、豊富な場所もある。
それは多分人間のグループごとに分かれていて、無意識で水を奪い合う人達、優しくされて優しくし返す人達がいる。

それはそのまま心が潤ってる人と、乾燥でフリーズドライしてる人の図。
最初は潤っていたはずなのに、柔らかい肉を攻撃されると膜を張る。
膜は攻撃されるごとに甲羅のように分厚く、さらに硬い殻になる。
硬い殻は内部の骨格を超えて身を支えはじめる。
肉は守られたが、殻で外と遮断されて腐敗したり、フリーズドライになったりする。
そういう人たちを甲殻類と呼ぶことにした。
外殻の武装によって立つ人。自分の繊細さを忘れてしまった人。
そういう人がまた人の柔らかい肉を傷つける循環。

肉は精神の比喩だが、形が残っていれば水をかけて戻せばいい。
高野豆腐のように、温かい煮汁をかけて美味しくなればいいと思う。
私の煮汁はすぐ蒸発してしまうので、色んな好きな人から少しずつ分けてもらっている。
その時の注意点は、一人の人から搾取しないこと。
水源になる人は滅多にいないから。
持ってない人からもらわないこと。
その人をマイナスにさせてまでもらうものではないから。
自分が与える時も同様。余ってる時だけしかあげられない。
水は有限である。エネルギーは有限、と言い換えてもいい。

水という表現が大変しっくりきているのには理由があって、白昼夢をよく見ていたためだ。
荒れてた中高生の時はマンホール下の暗くて深い水路の泥水の濁流。
鬱がひどかった大学卒業後は枯れ井戸。
大荒れだった頃に会社の素敵な方から頂いたプレゼントによって、地割れの多い荒野にぶわっと水が染み込んだり。
人に少し気にかけてもらえるだけで、トゲが吹き飛んでしまう。
それは最も飢えていたことが人との関わりで、気にかけてもらう嬉しさが飢餓状態だったからだ。

優しい水は有限で、すぐ蒸発・揮発する。
だからもらった優しさは大切に飲んだり食べたり傷に塗ったりする。
すぐ使い切ってしまうし、嫌なことがあるとすぐこぼれる。
だから色んな好きな人に会って、もらったりあげたりしながら生きていく。
人を求めることを恥ずかしいと思ってたけど、ようやくそのトンネルから抜け出しつつある記念に書いた。
そして同じようにつらくて困ってる人に向けて。