点線面vol.1ちひろ特集への寄稿+座標と螺旋の仕組み

[前記]

2016年、寄稿の依頼を受け書いた文章を無料公開する。
これは『点線面vol.1』というリトルプレス誌に掲載された。2016年09月01日発売。原稿を書いていたのは2016年06月末~07月頭。丁度4年前。

安田弘之著「ちひろ」「ちひろさん」を特集した記事の中の1つだ。

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この文章は編集さんからテーマを受け書いたが、私の中心にいる子供が泣きながらキーボードを叩いて打ち出したものだ。外側の私が書いたものではない。
何となく、この文章は公共物の気がする。私が独占していてよいものではない。だから時間も経ったし無料公開する。編集さんは快諾して下さった。
公共物というのは、自動書記的に「降ろされた」感覚があるからだ。私だけのものではないので、必要とする人に伝えられる環境を整えておく必要があった。

4年前と思うと感慨深い。今は当時と比べて殆ど別人のようになったけど、これはその変化の過程で生まれたもの。

この文章、そういえばタイトルを付けていない。本の中では上手いことやってくれてるけど。当時は思いつかず、今付けようとしても良いのが思いつかない。

当時のPDFをまとめ直すにあたり、おかしな表記を2箇所修正した。
本に載せたブログのアドレスはこちらに移転した。まだ跡地は残しているし、こちらへ誘導するリンクも貼っているが。

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目次

 

 異性の壁

「自分が異性に好かれることは恐らくありえない。誰かを好きになったとしても、相手にとって私の好意は迷惑になるだろう」──。これは私の18~24歳頃の思考回路。そのため異性を好きになる度に心を抑え込み、恋愛を〝発症〟しないよう気を付けていた。

だが抑えるほどに心は暴れまわり、その解析に躍起になり(自ら蓋をしているくせに!)、ついに観念して『私は彼が好きなんだ』と自分の気持ちを認める。だが時すでに遅し。相手には恋人がいたり、遠くに行ってしまったり、というお決まりのパターン。しかもこれが大体1~2年のスパンで起こる。出会いの多い環境でもない。結果しつこく想い続け、泣き暮らすことが日常となる。

そもそも「異性とつき合う」ということ自体、よくわからなかった。恋愛シミュレーションやエロゲは一通り体験していたが、自分が?誰かと?楽しく?という現実感のなさ。それは果てしなく遠い神話のような存在だった。

だって私は「外では一応陽気にも振る舞えるけど、物凄く陰鬱で、その暗さは自分だけでなく他人も食い潰す」と信じていたし、実際そのような暗闇に住んでいたから。

そんな時、ある異性からわかりやすい(わかりにくいと「あるわけないよね蓋」で可能性を排除してしまう)アプローチをされ、24歳にして初めて「おつき合い」に至る。

当時、多くはないが、ある程度友達がいた。人の中に自分の存在があるとわかると嬉しくて、メールが来ると真っ先に返信し、誘われると必ず顔を出した。一番に彼らを優先した。自分よりも。

友人でこの有り様だ。彼氏の特別感は相当なもので、一緒にいるだけで楽しく幸せを感じられた。しかし、その彼氏から次第にモラルハラスメントを受けるようになっていく。

学歴信仰と暴力のある家庭で育った彼は、出身校である有名大学について誇らしげに語った。他人を馬鹿にするのはいけないことと言いながら、薄らと人への侮蔑心を持ち、それを隠すことを良心と捉えていた。潔癖で崇高な存在でありたいと考え、私にもそれを強要した。

だが彼の視野と許容範囲は狭く、私の良心とは到底折り合いのつくものではなかった。暴力は軽蔑対象なので物理的暴力こそ振るわなかったが、言葉を扱う仕事をしていたため、話術で追いつめる方法は熟知していた。

本人はそれを「言葉の暴力」ではなく「正義の行使」と考えていたようだ。機嫌を損ねると手を繋いでくれない。寂しさがベースの私には効果てきめんで、悲しくなる。そこで「自分が何をしたか、どう悪かったか考えて」と告げられる。必死で考えても心当たりは全部ハズレ。日を置いて「どうしてもわからないから教えて」と聞くと『そんなことで?』という内容。彼のほうは「人に失礼なことをしていると教えてあげた」というスタンスだった。

圧倒的に私より〝上〟なのだ。別れは、私が計画したサプライズがきっかけだった。私がよからぬことを企んでいると勘繰った彼は激怒。嵐のような罵倒にただ震えた。喜ばせようとしてこの仕打ち。どう考えても別れて正解だったが、当時は悲しかった。

彼の辛い生い立ちは知っていたが、救い出すことはできなかった。だが彼よりよっぽど可哀想なのは自分......はさておき、疑心暗鬼な環境で育った彼は、防御反応として人を攻撃する。たとえ不安だとしても人を攻撃する人とつき合ってはいけない。とはいえ、良い所もあった。私は自分をほったらかし、「良い所幻想」に囚われていった。


薄氷の友人

当時私は大学の友人たちと女3人でルームシェアをしていた。奥手で人の言うことを聞きすぎる傾向のあった私は「こういうことがあったの、どうしたらいい?」と何でも相談することが善と思い込んでいた。そして頭の回転が速く恋愛経験も豊富な友人が出してくれた明快な解答に従っていた。気持ちが置いてけぼりのまま。

今考えればそれはとても嫌なことだった。私が決めたことではないから。でもわからなかった。微妙な不快感があったのに深く考えなかった。それよりも気持ちの収め所が早くほしくて、一度で正解に辿り着きたくて。何となく「これは駄目なのでは」という嫌な気持ちに気付かないふりをした。

自分の中で結論が出ていないのに、人に答えを聞いてしまう。これは怠慢だ。その彼女が二股の後、彼氏を乗り換えた。不要とされる人の悲しみに共感する私にとって、彼女が自分の都合で他人を排除したことは実に腹立たしいことだった。おまけに彼女はそれを私ともう一人の同居人に「秘密」として話すのだ。

私の良心ではアウトなことが彼女にはセーフで、そのうえ黙ることを期待される。それは勝手に共犯者に仕立て上げられた気分で、大きなストレスだった。ほかにも掃除分担の負担等、同居にまつわるイライラも蓄積。幸せそうな彼女の姿がとにかく不快だった。

妬み嫉み。『私はこんなにしんどいのに、何であんたはいい所だけ持っていこうとするの?』。水面下で基盤はとっくに壊れ、ほんの小さなきっかけで破綻した。今まで友人相手に出したことのない大声でぶち切れ、部屋にこもり大泣きした。

そんな時、もう一人の同居人が石井ゆかりさん(※1)のサイトを教えてくれ、あわせて『ちひろ』上・下巻を貸してくれた。一人部屋に籠って読み耽り、何度も何度も読み返した。なんだかスッキリして貸してくれた同居人に「これ好き!」と言いに行った。

家では孤立した。3人の内2人が仲違いしたらどうしても2:1になりやすいし、もう一人には迷惑をかけたくなかった。一人になりたかった。仕事も積載量オーバーのパンク寸前。会社のトイレで泣いてストレス解消し、家でも孤独だった。

ただ頭の中では猛然と考えていた。転んでもタダで起きるもんか。必ず原因を掴む。だからトラブルも悪くない。執拗に中心を探った。

私の中の本来絶対に渡してはいけないハンドルを他人に握らせてしまった。自分の行動を決めるのは自分しかありえないのに、なぜ人の言うことをホイホイ聞いてしまったんだろう。

他人は神様じゃない。発言に責任なんて持たないし、好き勝手に行動するのが当然。人を善と信じ込んで従ったけど大して善でもなかった。私が勝手にのみ込んで選択を間違えただけ。そう、選ばないという選択肢だってあった。つまり私は何も考えていなかった。考えずに選び後悔している。当然の帰結だ。

最大の問題点は、善悪の基準が全く違う人間であることにお互いが無自覚であったこと。彼女が「私が考えるべき問題を先回りして考えてくれてしまった」こと。それに伴い「私が思考を放棄して従った」ことだった。この構図は母親との歪んだ関係そのものだった。親元から離れたのに、まだ縛られていた。

 

※1石井ゆかりさん…星占いをされている。今や超売れっ子。彼女の言葉は人の本質を丁寧にひもとく。

 

ちひろ』に魅せられて

この間、私の隣には石井ゆかりさんと加藤諦三さん(※2)の本、そして安田先生の『ちひろ』がずっと一緒にいてくれた。石井ゆかりさんの本で教わったのは、自分の性質。自分の性質がわかると同時に、他人は全く別の行動原理で動いていると理解した。

加藤諦三さんの本で教わったのは、病む経過、過去、基準。自分が問題ある家庭で育ったことには自覚的だったが、自分なりに脱出したと思っていたのにまだこんなに問題を抱えている。そんな人は沢山いて、皆もがいている。そして歪みの基準。どう苦しいと、それは歪みの表れなのか。我慢強い私はどこまでも我慢できたけど、何を基準として「辛い」と言ってよいのか。

安田先生の『ちひろ』は、未来。自由に振る舞う姿。そうありたい姿を体現していた。自分が嫌なことは否定するし、いらなくなったら捨てる。確固たる軸があり、他人に左右されない。夜空と繋がることが彼女の栄養補給(※3)で、私もそうだ、この人と同じかもしれない。それが出口に繋がっている気がした。糸口のような。だから惹かれたのだと思う。

その後『ちひろ』は自分でも購入し、何度も何度も読み返した。彼女の世界にどっぷり浸かり、いらないものを考えた。

身動きが取れず、苦しい。息ができない。それは余計なものを沢山身に付けているからだ。選んで捨てよう。私に必要なものはほんの少し。そう思った。

ちひろ』を読み新鮮に感じたのは捨てるカットだった。飼育中の熱帯魚が死んだら泣く、けどすぐ捨てる。「え、悼いたむとかないの?そりゃ泣いてはいるけど、即なの?」。巨乳で性格の悪いチカ(※4)が入店し店長に面倒みてやれと言われると、さくっと断る。そしてそれを求めた店長に「常識からしつけるなんて気が遠くなるもんねぇ~人に押しつけるが勝ち」と言い放つ。

ここでわかったことは、人の面倒を見るというのは一見善きことだが、当人には重荷であること。人にはそれを他人に押し付ける技術があり、拒否することもできる、ということだった。狙いを看破して発言する勇気さえあれば。

新鮮に感じたのは、私がその要素をまるで持っていなかったからだ。何でも我慢して受け入れてきた。だからもうパンパンで、ハンドルに手が届かない。

ちひろがプチぶる(※5)を辞めたのは、彼女にとって愛しい環境を手放すことは新しい刺激で、それを味わいたかったのだと推測した。

仲良くなった人を捨てる。「友達は大切にしなければいけません」に逆行する姿勢だ。でも、本当にその友達は大切なんだろうか。仲良しとしがらみは根が同じ。友人や職場の人の前で振る舞う姿、期待される行い、いつの間にかそれに取り込まれ、他人の期待通りに振る舞うようになっていく。身近な人を大切にすればするほど、自分が少し歪んでいく。

もちろん確固たる自分があればぶれないかも知れない。でも期待が型になっていくのは止められない。少しずつ居心地が悪くなっていく。再確認したい。心地良い場所をもう一度自分が築けるのかどうかを。ならば離れる。理に適っている。何よりも自分の意志を大切にした結果だ。それに付随するさよならの悲しみ。これは手放さないと味わえない。だから尊く、味わう価値がある。その後私は引っ越し、一人暮らしになった。一人は怖くて寂しくて、清々した。

 

※2加藤諦三さん…テレフォン人生相談(ラジオ番組)で様々な人の悩みに寄り添う。負の感情、生き方について多くの著書がある。

※3夜空と繋がることが彼女の栄養補給…『ちひろ』下巻にて、夜の繁華街のビルの屋上で、「彼に抱かれる」ことで一息ついている表現がある。「彼」とは夜、月、風など、自然で大きな存在。彼女の人間以外の友、という解釈をしている。

※4チカ…『ちひろ』上巻に登場する風俗嬢。巨乳を利用し男に媚びる。女は皆敵。

※5プチぶる…ちひろが働いていたファッションヘルス店。近辺では給料も設備も一番良いらしい。

 

ちひろさん』1巻が出たことを知ったのは、ちひろを貸してくれた元同居人と再会した時だった。その後B&Bの企画(※6)を知り、仕事は忙しかったがどうにか参加した。

安田先生は凪いだ海のような静かなおじさんだった。明るく穏やかに見えるが、底には冷たい潮が流れている。趣味で流しのカウンセラーをしていると語り、植本さんとのやり取りを披露してくれた。

安田先生自身が自殺未遂経験者(※7)で、病んだ所から脱却し、得たノウハウで人を癒す取り組みをしている。でも全員救えるわけもなく、闇から出たがらない人は捨て置く。そうでないと自分まで引き込まれてしまうから。線引きは厳しいが、それが自分を維持する浄化装置となる。

一番大切なのは自分。余力があるなら人を助けてもいい。気が向かない時は何もしない。好きなことをやる。これは『ちひろさん』の中でちひろが実践していることと全く同じだった。

人を切り捨てることは辛い。どうしても引っ張られる。でも自分を損なうなら仕方ない。それは英断なのだ。自己肯定ができ、人に流されない。自律、自立を両立する人には滅多にお目にかかれない。稀有な人だ。

イベントの後先生と少し話をし、助けてもらえることになった。声をかける勇気を出した過去の私を心から褒めたい。

先生のカウンセリングはチャットが基本。どうしても遠慮するし我慢しがちなので、心が動いた時に必ず「~だったけどこう思った。変だと思う」とか「~がこうしてたけどどうかしてる」「嬉しい、悲しい気持ち」を報告することになった。

迷惑なのではと思ったが、先生は自分が忙しい時は返信しない。先述の線引きがこれだ。通話はしない。文章に落とし込む。単語でもいいから残すことが大切だ。何度も読み返せるし、電話はその場での時間の消費が激しい。しかも記憶にしか残らないため効率は悪い。無理なく続けるにはお互いに余裕が必要なのだ。

 

※6B&Bの企画…下北沢の本屋さんB&Bで開催された写真家の植本一子さんと安田先生のトークショーの企画。(→P35※2参照)。

※7自殺未遂経験者…『気がつけばいつも病み上がり』(→P37※3参照)という著書にエピソードが掲載されている。

 

インナーチャイルドと出会う

先生に出会ってから、色んな出来事、失敗、後悔を話し、少ししてから「インナーチャイルドに会ってみましょう」と言われた。

一番古い記憶を掘り起こす。幼稚園の年中さん。幼稚園の教室で、皆で床に座って各自お絵かきをしていた。私はその中の一人。皆は楽しそうにしていたが、私は疎外感を抱え、俯いて手を動かしていた。

大人の私は小さな私に近寄っていった。どうやら怒っているようだ。「どうして怒っているの?」と心の中で問いかける。顔を上げてくれたが、言いたいことが沢山あるような複雑な表情をしていた。

彼女が言いたいことは、

「教室で一番発言力のあるかわいい女の子が『こんな目考えた!』と皆の前で発言した。『人間の目をこんな風に描くのを発明したよ!』と。それは気持ち悪い。トンボの目みたい。人間の目はそんな形じゃない。

でもそれは言えない。その女の子は人気者だから。でも皆は賛同するの。私がその中に入るには、嘘をついてお世辞を言わなきゃいけない。それは言えない。だってその描き方変だもん」。

こんな複雑な内容を言葉にするのは幼児には難しい。だから言えないし、仮に言えたとしても皆を敵に回してしまう。だから黙るしかなかった。でも自分が間違っているとも思えない。そんな穴にはまりこんでいた。

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先生に言葉を伝えると「驚いた。その年でもうそんな駆け引きをしているんだね。あなたはその子に何て言葉をかける?」と聞かれた。

困った。決して上手なわけではない。平凡な絵だ。どうやって褒めたらいいか、わからなかった。挙句、「上手だね」と適当なことを言ってしまった。小さい私は俯いている。嘘はばれている。当然だ。自分で考えたことを自分に伝えているのだから。

その後の先生の言葉。「それいいね。僕はあなたの絵が好きです。そんな風に観察して考えて描いたんだね。あなたの思考に価値がある。だからその絵には価値があるんです」。

それを聞いた小さな私は泣きだした。ずっと誰かにそう言ってほしかった。認めてほしかった。自分の意見に耳を傾けてくれる人は居ないと思っていた。暫く泣いて落ち着いた。憑きものが落ちたようなサッパリした感触だ。

「これからその子にはいつでも会えます。可愛がってあげてください。その子には愛が足りない。一緒に遊んで、ご飯を食べて、寝る。彼女の欲しがるものを与えることで、大人のあなたの栄養になるのです」。

普段は手の届かない過去の私。禁止した欲を掘り起こし、与える。これが治療の基本なのだと理解した。いつだって寂しくて、飢えていた。与えるのは自分だ。

「今その子は何を望んでいますか?」「おかし。駄菓子、食べる」。その子がポツリと口にしたような気がした。過去に家では駄菓子は良いとされず禁止されていた。友達の家でしか食べられなかった。

今行きなさいと急かされ、深夜ドンキの駄菓子売り場に行った。好きなものを選ぶ。値段は気にしない。夜中だけどむしゃむしゃ食べた。2人の私は少し満足した。

小さな私は先生には心を開いたが、私に対してはまだ警戒心がある。ずっと無視してきたからだ。少しずつ解消すれば良い。これが起点になった。

先生の「それいいね」は、ちひろさんからタエちゃん(※8)へ向けての言葉だ。「これいいねって言ったら、それいいねって返ってくる~中略~たったそれだけがほしくて、こんなに遠くまで来ちゃいました」。

私もそれがほしかった。後ろを振り向いたら足跡が2つあった。大きい私と小さい私。見えないだけで、ちゃんと居た。見ようとさえすれば、いつでも一緒に居た。

 

※8タエちゃん…『ちひろさん』2巻から登場する愛らしいおばさん。3巻でちひろと旅行に行き、娘との溝を語る。(→P7参照)。

 

優しさは水

親に優しくされた記憶はない。ご飯を作ってもらった。学費を払ってもらった。家に住まわせてもらった。こういう記憶はあるが、それは優しさではなく義務と体裁。そうしないと外聞が悪い。そういう家で育った。ちょうどオカジ(※9)の家のように。それに加え過保護と多少の暴力、そして脅迫があった。

優しさは水の形をしているね、と先生と話した。皆コップや鍋、皿やボールを持っている。それが先天的な優しさの許容量。例えば先生は私の話を聞いてくれる。諭してくれる。すると私のコップには水が貯まる。水が貯まると安心する。

逆にカラカラで何もない時は荒れている。ムシャクシャしたり、ヤケ食いしたり。

貯まった水は自分が穏やかである状態を維持するために使う。優しくしてもらえて嬉しい、そんな状態。もらった水は飲んだり傷を洗ったりに使う。使わないとすぐ蒸発するし、嫌なことがあれば零こぼれてしまう。

もし溢れるほど豊かに持っていれば、人にあげてもよい。でも自分の取り分を減らしてまで人に与えるべきではない。自分の取り分は必ず確保する。これが鉄則だ。それは先述の先生の線引きにも繋がっている。

世界には優しい人もそうでない人も両方いる。優しい人は水が豊富な人。人に与えられるほどの貯水量を確保できる、大きな器の持ち主だ。

優しくない人の器は常に空。いつでも飢えており、人から水を奪い取ろうとする。自分だけが大切で一時的に満たされればそれでいい。このタイプの器はザルだ。皿に大穴が空いている。穴には気付かないから補修はしない。貯まらないから常に欲する。

器の大穴に自覚的で、人に迷惑をかけまいとする人もいる。遠慮しがちで優しさに飢えつつも、欲しがることを恥じる。自他の優先順位が入れ替わり、自分の水を人に飲ませてしまいがちだ。カモになりやすい。

あとは普通の人。ちょっと減ったら友達に分けてもらう。良きタイミングで声を掛け合い、それぞれが丁度良い配分の水を確保しようとする。少しひびが入っていたり、小さな穴が開いているから、減るスピードには個人差がある。

この4種類の人々、一つ確実に言えるのは優しい人は稀少、ということだ。世界は常に水の奪い合いをしていると言ってよい。

「○○をしてあげた。嬉しかったよね?感謝するのが当然なのになぜ礼を言わないんだ」。ここで奪われて、「大丈夫?さっき苦しい表情してたから」。ここで補給される。色んな人が入り乱れて配置されている。だからどこでも混乱が起きる。

私は乾燥地帯の家に生まれた。吸い尽くされたけど色んな人から水をもらえて、まだ生き延びている。そしてこの概念に気付いたから、自分から奪う人、くれる人を見分けられるようになった。

たぶん水には色んな味がある。甘い人、しょっぱい人、紅茶の人、煮汁の人。色んな人と交換し合い、優しくし合いながら皆生きて死ぬんだ。お互い様、とか言いながら。

もしこれを読んだあなたの器がボロボロで、どんなに優しくされても飢えてしまうなら。器の補修をしてください。どんな傷があるのか、よく見つめること。

傷を見つめること自体、勇気と胆力が必要なのだ。

昔どんなことがあって自分が変容したのか。苦しい原因を探って見つめる。「それが辛かったんだね」と過去の気持ちを容認する。それが治癒になる。

受けとった水は、ザルに流しても虚空に消えてしまう。まず受け止める体制を作る必要がある。

「あなた素敵な人ね」こんな優しい言葉を受け止められるか。「そんなことないです」と捨てていないか。「嬉しい......恥ずかしいけど」受け止めるってこういうこと。嬉しい気持ちが力になる。私はやっと「かわいい」を照れつつも受け取れるようになったところだ。

 

※9オカジ…『ちひろさん』1巻から登場。一般家庭の女子高生。育ちがいい。仲良し家族ごっこの嘘を看破、両親に反抗し始めた。(→P7参照)

 

からっぽの理由、迷路の出口

人に呼ばれることが嬉しい。私を呼んでくれる人は居なかったから。だから他人に振り回される。それは自分には意志がないことを示す。私には行きたい所がない。やりたいこともない。からっぽだから。

でもそれは忘れているだけ。誰かの言葉と態度によって、圧迫されてきた過去の自分。やりたいことをやると、嗤われる。貶される。そんな痛みを経験したら誰だって何もできなくなる。手を出すことすら怖い。そして強い力におもねり生き延びる。代償に「これがほしい」の意志を手放して。

忘れるのが一番楽だし、そうせざるを得ない。他に選択肢はなかった。強くなるには力が弱すぎた。そうやって葬られた墓が記憶の底にごまんとある。

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墓からは恨み節が聞こえてくる。普段は聞かないようにしている。でも時折辛くなる。

こうなりたかった自分と、全然別の所にいる自分。本当にやりたかったことをやっている誰かに嫉妬して、でも平気な顔を保てるように頑張って。でも、違う。墓の蓋を開けるのが真の勇気だ。

嫉妬は望みの裏返し。親に抱っこされて安心している子供。恋人と仲良く歩いている人。楽しそうに歌う人。楽器を弾く人。こんなの作ったと見せてくれる人。人に賞賛される人。

「そんなの私だってできるもん!」違う、こんな所に来たかったんじゃない。

誰かと話したい。認めてほしい。褒めてほしい。何かの部品でも、誰かの付属品でもない。蓋は閉じているから怖い。中から暗闇がもくもく湧いている。開ける瞬間は一番怖い。でも中で生きているから疼いている。だがもう瀕死だ。

どうか殺さないで。助けてあげて。墓を暴いて蓋を開けて。小さな自分が出てくるから。

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転んだ時に心配してほしかった。これ作った!と見せた時褒めてほしかった。美味しいね、と一緒に笑いたかった。悲しい時、どうしたの?と聞いてほしかった。

ほんの小さなことのようだけど、共感は人の根幹を占める最も大切な歯車だ。それがない。外側だけ大きくなって中は空洞だ。

それを見つめるのが怖くて、皆蓋をして知らんぷりする。蓋をするから腐って嫌な臭気が沸きだし、ますます見ないふり。こんなガサガサの荒地はもうごめんだ。

生き埋めだった小さな自分を認識して、お水を飲ませて、呼吸をさせて、「ごめんね、ずっと見ないふりして」と謝って、自分が本当は何を望んでいたか、よく見て。その子をよく見て。他人はヒントにはなるけど、自分の望みを掬い上げるのは自分だけだ。

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もっと普通に育っていたら、どんな人生を歩んだのだろう。もっと自信があって、人とも楽しくやれて、好きに行動できたかな。

泥水を啜って生き延びるのは苦しい。だが苦しんだからこそ見える世界がある。そして少しは脱出し始めた。楽しいことをできたり、できなかったり。少なくとも挑戦することはでき始めている。

その喜びは最初から普通に生きられる人には想像もつかないほど巨大で、その味はもがくほど旨味を増す。だから命を燃やして自分が惹かれるものに引き寄せられて生きたい。その中で楽しいことをしていくんだ。泣いた分を全部取り返して、その先の喜びを知りたいんだ。

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[後記]4年後、今の座標と螺旋の仕組み

これが掲載された点線面vol.1が発売された時、多くの方がリアクションして下さった。葉書を下さった方も。

皆さま、その後進捗いかがでしょうか?蓋を開けましたか?治癒は進んでいますか?

当時私は知らない人から話しかけられることが怖くて戦々恐々としていた。自分の肥大した自意識がバレそうで、得意げになることも怖くて上手くできなかった。

今は、完全に暗闇を脱出して久しい。親に突き落とされて遥かにズレた位置に居た座標が正しい位置に戻った。

座標概念の話は2019年末あたりずっとツイッターで言っていたが、ブログにまとめようとしてずっとほったらかしていた。
とりあえずリンクとして1つ目を載せる。ツリーの続きの要点を転載する。

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ttps://twitter.com/iojjj_/status/1202604507663724544?s=20https://twitter.com/iojjj_/status/1202604507663724544?s=20

「この旅路こそが物語。英雄=己。沢山の人間ドラマの中で色んな役を演じ、本を読み、周りの人間を観察し学習する。これによって少しずつ己を取り戻してポジションを修正していく。 この修正作業の旅路物語をやる為、人間に生まれてきた。これが物語の第一幕。ポジションが戻って何をするかが第二幕。」

生き辛い人はなぜ叩き落される場所に発生するか。 魔の思考行動を学習する為。長距離の螺旋を旅する為。 被害者のマイナス視点からフラットになりプラスに移行する。長距離移動により、沢山の種類の人間を垣間見る。 これにより広範囲の人間の気持ちを推量できるようになる。

1aが本来いるべき場所なのに、1bに叩き落とされて右も左も分からない。 だがここは違うと違和感があり、現在の場所は苦しくて飲み込めない。ここを出なければ。つまりゴールが別の場所だと自覚している。これによって旅が始まる。 生き辛い人の「ここを出る」動機は非常に強い。七転八倒しながら戻る。

この動機の強さと自覚がそのまま生命力となる。鈍麻させてる人は起きろよ。まあ本人次第だ。 2b→aの短距離の人と話が合わないのは、経験値が違うから。見てきた世界が違うから。人は見たものしか信じないから。本来の座標がかなり遠いから。

でも本来の位置に戻れば話は無理なく出来る筈。何となく嫌な感じがするのは、互いの座標がズレてて本来の力を発揮しにくいから。 その位置毎に見る視点を話し合う事が対話。共感はできずとも対話はできるし、それが問題の解決を生む。

座標の遠さは、例えば地球の3d図を思い浮かべて、マントルにいる人と大気圏にいる人は違う階層にいるということ。 多分大気圏側は、大気圏内であればどの位置にも行きやすい。中心部は階層が違うから行けない。逆も然り。 0地点を中心に回る星だよ人間は。銀河ってことさ。

そうだった、次元を追加するのは大きな要素だった。

安田弘之 @yasuda_hiroyuki 返信先:@iojjj_
現代人に与えられてるのは二次元のxy平面座標のみ。縦座標z軸を持つことで初めて本来の場所にたどり着ける。1aと2aの立ち位置は一見”同じa地点”だけどまったくかけ離れたものになる。 午前0:59 · 2019年12月6日”」

 「大切な事忘れてた。 この世界を疑う為に、厳しい環境に生まれた。 この絶望の中、本当に味方はいないのか。 一人である事と疑う事に耐性ができる。獣の嗅覚が育つ。 この世は殆ど幻想にまみれているので、その中で本物は何か探す嗅覚は必須。幻に誤魔化されず、真の姿を疑う為に我々は苦しみを学ぶ。

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 上の図の螺旋の意味が分かるだろうか。英雄云々~は物語論でいう所の主人公を意味する。
ついでなのでその辺の解説をザッと書いておく。

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(引用:神話の法則 ライターズ・ジャーニー/クリストファー・ボグラー)

この円は英雄神話、物語の雛形。映画演劇小説漫画アニメ、様々なシナリオがこの形に収まる。この円が螺旋形に展開して人生は続いている。

主人公(英雄)は旅に出て強くなって帰還する。これが一巡する円の動き。そして主人公とは我々自身であり、いつも問題を抱え、どうにか解決しながら強くなり進んでいく。

前に進む運動が螺旋を描く。何度も旅に出ては帰り、円を何周も歩く。少しずつ自分を修正アップデートしていく事でz軸が上がっていく。

シナリオと英雄神話の考え方については、こちらのけもフレ解説が大変分かりやすいので参考にどうぞ。

 

今読み返すと、沢山の苦しみ、悲哀、妬み、麻痺させた心、泥水を啜り這いずるマイナスの体験から考えること全てが、この座標に来る為に必要なアイテムだったことが分かる。

マイナスというのは、単純に数値的な意味での+-の話。マイナスが良くない、なんて事はない。光だけ知っていても生きられない。両方に価値がある。

不快ならば離れる事、それが身体感覚に基づいた正しい選択、マイナスの扱い方だ。問題は不快に適応し過ぎて「これくらい我慢できる」と見栄を張る心の方だ。

人は苦しみの当事者にならない限り、問題に向き合おうとしない性質がある。だから直視せざるを得ない、解決しなければ緩やかに死ぬしかない、そういう問題を抱えていた事は、今の視点から見れば大きなアドバンテージだった。だって解決しない限り心が硬化して死ぬしかないから。

自分を捕えている闇の仕組みを知る事は多大な負荷をかけたトレーニングだった。
「ミイラ取りがミイラになる」罠スレスレだ。間近にいれば取り込まれて戻れなくなる危険もある。でも取り込まれて汚れないと真に理解できない。
この大量の練習問題によって鍛えられた目が、五感全てが、正しい座標に導いてくれた。

補足すると「解決」とは「物事をうまくおさめる事」ではない場合も往々にしてある。自分を犠牲にして物事をおさめてきた人は「他人のことは一切省みず、放り投げて脱出」が「自分の意思を尊重できたから満点。課題クリア」(z軸が上がる)となる場合もあり、これは各人が持つ課題によって違う。勿論動く事だけが正解ではない。止まる事がクリアとなる場合もある。常識的な先入観に騙されないように。

また、己の修正アップデートを行わない限りz軸は登れず、同じ問題を繰り返す羽目になる。その場合は螺旋を描かず、同じ位置をグルグル回り続ける。手を替え品を替え「この問題を解け」と突きつけられるだろう。それが人間に与えられた法則であり、仕組みだ。

 

私の器の修復は終わった。数年前とは別人だ。
ここまで来るのに長くかかったように感じるが、先生と会ったのは2014年8月23日。あと少しで6年。物凄く濃密な時間だった。5倍速で進んでいるような。

困難は自分の在り方を考える素材で、ヒントは常に隣にある。
出来事や人間関係の中の、居心地の悪さや疑念、悲しみ、憎しみ、妬み、陶酔、麻痺、それらの感情全て、考える必要のあるヒントだった。お困りの方は存分にご活用下さい。

 

「もっと普通に育っていたら、どんな人生を歩んだのだろう。」と書いた当時としばらく後までは、読み返す度に涙ぐんだ。損なわれた時間が悔しくて。
でも、私はこれで良かった。自分の歴史に満足している。人の群れを外から見る視点を持つ事、孤独である事が私にとって必然だった。

 

そういう歌を作ったので興味があればどうぞ。

 

育て直してくれた安田先生は、彼の分身であるちひろは、肉親よりも親そのものだ。私はただひたすら貪欲に進みたがり、先生はその度に杖となり灯台となり導いてくれた。肝心なのは、「歩くのは私」である事。

「家族・血縁」は中身の伴わない形骸である事も多いが、それ以上に引力の強い、見えない「精神の遺伝子」が存在する。歌や絵や本の中に、作者の遺伝子が埋め込まれている。人以外の、獣や虫、木や土、川、海、風には、自然の持つ遺伝子が。どちらも不可視だが、群れから離れた迷子が呼吸をする為にとてもとても重要な存在だ。
それらを、全く愛せない「家族」と呼ばれる人間達の斥力によって発見できた。マイナスの力だ。斥力に素直に従えば見つけられる。だから、我々は1人であっても寂しくはない。

また、パートナーとやり取りする中で溢れる思考と感情が、強い推進力でここまで運んでくれた。彼もまた見えない引力によって結びついた同志だ。2人共、ありがとうございます。

そして辺境のブログを発見し、書く機会とテーマを頂き、たくさん手伝って下さった編集さん、ありがとうございました。

 

それでは皆さん、生き延びましょう。

 

2021/11/24 下記note版はアカウント諸共削除しました。お読み頂いた方々、サポートして下さった方々、本当にありがとうございました。

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