インナーチャイルド外に出る-英語劇

今、天狼院書店の「演じる英語ゼミ」いう企画に参加している。台詞が全部英語。台詞を覚え、感情込めて演技する事で少しでも英語、何とかならんかのぅ…?という赤点満載で高校留年しかけた私の蜘蛛の糸である。なぜ武蔵美に受かったか今でも謎な位。(なお武蔵美受験英語は中学レベルである…)

そこで貰った役が、私のインナーチャイルドそのまんまだったのだ。「幸福な王子」の燕役である。

 

(動機として、英語は好きかと言われると別に普通。キリンジと出会って日本語の美しさに震えたから、日本語は好き。

唯、英語の歌が歌えなくて諦めて悔しい思いはたくさんしている。速すぎて聞き取れない。聞き取れないと再現できない。食らいついた歌はあるが少ない。

ブロードウェイ来日公演のコーラスライン、素晴らしかったけど字幕見ながら双眼鏡見るのは大変だった。

映画、できればそのまま見たい。字幕も結構嘘をつくし。

john bauerの日本語訳の無い本を読みたい。

そして何より、日本に向いてない自分。多分あんまり向いてない。移住した方が良いのかもしれない。旅に出るにしても、喋れないとか勇気が無ければ行動は尻すぼみになってしまう。という色んな理由により。)

 

燕は無邪気な子供。
役を演じる時、「もっと幼く!」と言われ、思い切ってアホの子を表に出すと、ピッタリと言われた。

「私の中の子を外に出す練習として私にあてがわれた役だ!間違いなく。私は大勢の人にアホを晒し、褒めて貰う。それに慣れる練習。それで多分次の段階に進める。」


表面的に子供を演じるのでは無く、中の子供に外に出て来て貰う。素の自分を外に出す、というのは本当に本当に恐ろしい事だった、昔は。絶対にできなかった。人から評価される事に怯えていた。

自分の力を見せる時、「1番良い所」を見せないと、人にバカにされる、見くびられると思っていた。だからベストを出せなかったら凹んでいた。外側を飾り立て威嚇するように人と付き合っていた。

 

例えば大学のプレゼンにしてもグループワークにしても、常に何か演技していた。ツンケンしているのは表面コーティングだ。

例えばバンドで歌う時。音程を少しでも外したら、喉に突っかかったら、それを聞いた人は私を軽蔑したりバカにするだろうと思ってた。

人前に出る時、顔の造作が変だとか足が太いとか思われたくなくて、でもどうしようもなく、強烈な自己嫌悪があった。相対してる時、きっと相手は私を見て良くないイメージを抱いてるだろうと想定してた。

人前で発言する時、それを見聞きした人が何を思うかなんて分かりゃしないのに、有能、もしくは面白い人と思われるためのイメトレをしていた。

 

思い返してみると、心がガッチガチに凍り、素の自分は絶対隠すもの!という強固な思い込みが完成していた。中身を傷つけられたら怖いから、絶対人に見せられない。その縛りから、少しずつ解き放たれている。

パートナーのおかげも大きい。 素直な人と付き合っていると、そんなのあり?!と思えるような感情表現カルチャーショックに慣れていくし、なら自分もそこまでやっても良かろう、と思えるようになっていく。

他人というノイズをオフにしたかった、完全に。他人からどう思われるかが怖くて、思う通りにできなくて後悔して頭がグルグルして寝られないとかザラだし、それで病む。ノイズに縛られて何もできない。視線の縄をかけられたかのように。

 

その縄を解く。親に植えつけられた雑草の根を引っこ抜き燃やし尽くす。この1年で取り組んで来たのはそれだった。ようやくオリジナルの身体と魂を、舞台に乗せられた。

蠍座木星が「更地の畑を耕し種を蒔く」のなら、正にピッタリな1年だった。

 

この劇は発表会があるので、興味がある人が居ればどうぞ。星組のツバメです。

【東京 11/24(土)】天狼院「演じる英語ゼミ」プロジェクト公演発表会|英語劇" The Happy Prince " 〜幸福な王子〜《初めての方、大歓迎!》 | 天狼院書店