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点線面vol.1ちひろ特集への寄稿+座標と螺旋の仕組み

[前記]

2016年、寄稿の依頼を受け書いた文章を無料公開する。
これは『点線面vol.1』というリトルプレス誌に掲載された。2016年09月01日発売。原稿を書いていたのは2016年06月末~07月頭。丁度4年前。

安田弘之著「ちひろ」「ちひろさん」を特集した記事の中の1つだ。

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この文章は編集さんからテーマを受け書いたが、私の中心にいる子供が泣きながらキーボードを叩いて打ち出したものだ。外側の私が書いたものではない。
何となく、この文章は公共物の気がする。私が独占していてよいものではない。だから時間も経ったし無料公開する。編集さんは快諾して下さった。
公共物というのは、自動書記的に「降ろされた」感覚があるからだ。私だけのものではないので、必要とする人に伝えられる環境を整えておく必要があった。

4年前と思うと感慨深い。今は当時と比べて殆ど別人のようになったけど、これはその変化の過程で生まれたもの。

この文章、そういえばタイトルを付けていない。本の中では上手いことやってくれてるけど。当時は思いつかず、今付けようとしても良いのが思いつかない。

当時のPDFをまとめ直すにあたり、おかしな表記を2箇所修正した。
本に載せたブログのアドレスはこちらに移転した。まだ跡地は残しているし、こちらへ誘導するリンクも貼っているが。

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目次

  • [前記]
  •  異性の壁
  • 薄氷の友人
  • ちひろ』に魅せられて
  • インナーチャイルドと出会う
  • 優しさは水
  • からっぽの理由、迷路の出口
  • [後記]4年後、今の座標と螺旋の仕組み

 

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体に適する環境を作る

グレタさんに対してどのような反応を取るかで、その人の本性が分かるようになっている。彼女は鏡の役割をしている。

それはさておき、私が現在やっている健康の為の行動が、結果的に環境保護になっていると思うので紹介しておく。

 

シャンプー、リンス、ボディソープ、最早石鹸すら使わねえ。湯シャンとクエン酸
どういうことかと言うと、詳しくは宇津木式肌ケアの本を読んでくれ。

アマゾンじゃないよ楽天だよ。アマゾン経営おかしいっしょ。だからなるべく別の所で買ってるよ。消費者が何を選ぶかで少しずつ世界が変わるので、自分なりに選択している。

雑にまとめると、頭皮も顔も体も洗いすぎで、皮膚が削れてて、化粧水も乳液も実は全く意味がなく寧ろ乾燥させるというショッキングな内容だ。本当は皮膚から自分に最も適した油脂が出る筈なのに、皮膚を削りまくってるせいでターンオーバー死んでる、という話。

外部からの油脂水分の補給なんぞ要らねえ、そんなもんは本来自分の体で生成されて補給されるもんだ、という主張。この自己治癒の考え方、ここ数年で読み漁った本の内容と、体感に合致しており、こっちが真実だと割と確信してる。

まあ要らんもんを高く売りたいわけだ、それが資本主義の商売だからさ。化粧水や化粧が最早常識と化してしまって、ぼろ儲け世界。加担したくないしカモにもならない。

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川の声

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多摩川に世話になった記憶。私も将来河川敷に段ボールハウスを建てて住むんだと思っていた。そしてその可能性は今もゼロではない。高3で予備校通っていた頃、大学の頃、立川から南下して河川敷に向かった。空は広くて寒々しくて自分の中にあるヘドロの臭気が少し換気できる気がした。10年以上前、病み真っ只中の時期だ。

この前台風19号多摩川が氾濫した。その時思い至った。川は経路を変えられて埋められて体を削られている。だから元の形に戻ろうとする。私たちは地上に蔓延るカビのように地表にしがみついているだけ。変形させた自然の上にあぐらをかいて、デカい顔をしている。これが本来の人の立ち位置。まだ洗い流されていないだけ。

春頃、高田馬場から神田川沿いを歩いた。昼の行きはまだ良かったが、帰りは夜。具合が徐々に悪くなった。昔住んでいた立川らへんは比較的中ごろ~上流だったからまだ清浄だったが、下流になると臭いだけではなく、色々良くないものが流れ込んでいるようだ。コンクリートは循環を絶つ。

水は汚れ、不要物を落とす役割を持っていると最近気づいた。食器洗いや洗濯は勿論のこと、お風呂の湯船につかると疲れが取れるのは、疲れが湯に流されるため。涙は悲しみを排出する。尿は毒素を排出する。それらの不浄が全部排水として川に流れ込むけど、循環は絶たれている。浄水場は表面的に整えているだけで。自然の循環は神様の力。人工的に作ろうとしても作れない。

大学の頃に時間を引き戻すと、絶望的な孤独に居た。夕焼けに蝙蝠が大量に飛んでいる。心は常に隙間風に吹かれ、死なない為に地面を踏みしめている。広くて美しかった。大きくて常に流れていて人のように嘘がなく、真である。

人が傍にいないから孤独だと思っていたけど違った。私が求めるのは人でなかった。川に佇んでいたあの頃は一人ぼっちだと思っていたけど、川や風は傍にいてくれた。本当はそれで充分だった。あの時は感じ取れなかったけど、今は分かる。一緒に居てくれた存在が、嘘が無く真であること。人間に体を削られて理不尽な目に遭っても、こうやって見守ってくれている優しい存在だということ。

あの台風の時、それに気づいた。ありがとう、一緒に居てくれて。すると涙がボタボタと垂れてきた。私の体だけど私の感情ではない。これは川の存在の感情。誰も気づかない。神などいないという言説の蔓延る世界になってしまったから。私は滂沱の涙を流しながら、感情の受け皿になっていた。ずっと気づかれず、支えてきた苦しみ。社寺に隠された名も無き自然。原初のアニミズム。ひとしきり泣き、落ち着いた頃、改めて感謝を述べた。そしてうちに遊びに来てと言った。笑ってた。

今はご飯を食べる前に祈るようになった。形だけの祈りではなく、土から野菜が生まれるのが純粋に不思議ですごいことだと思う。そして心の中で、川の神様と一緒に食べている。